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■「自動車の育ての親」ヘンリー・フォードが設立
1903(明治41)年6月16日、ヘンリー・フォードが「フォード・モーター・カンパニー」を設立しました。フォードは、ベルトコンベア方式による大量生産を導入し、自動車の低価格化に成功します。これを機に、自動車の大衆化が進み、米国ではモータリゼーションに火が付きました。
●大量生産による自動車の大衆化を実現
ヘンリー・フォードは1863年、ミシガン州ディアボーンで農場を経営する家庭の長男として生まれました。高校中退後、見習い工や蒸気機関の修理工として働き、28歳の時に発明王トーマス・エンジンが設立した照明会社へ就職します。当時から自動車に興味を持っていたヘンリー・フォードは、仕事をしながら自動車の仕組みを独学で学び、自動車を試作していました。
ヘンリー・フォードがチーフエンジニアになった時、会社のパーティで初めてエジソンと話す機会を得ます。そこで、自動車への熱い思いを語ると、エジソンは自動車の将来性について共感し、頑張るように励ましたそうです。エジソンのお墨付きを得て自信を持ったヘンリー・フォードは、本格的に自動車事業を進めることを決断したのでした。
●大量生産によるT型フォードの成功
1903年、ヘンリー・フォードは40歳でフォード・モーター・カンパニーを設立し、1908年に「モデルT」の販売を始めます。T型フォードは4気筒エンジンと2速MTを組み合わせたFRで、他社に比べて性能が優れて低価格であったため、人気を博します。
1913年、ベルトコンベアを利用したライン生産方式を導入、大量生産によってさらに価格を下げることに成功します。初期の価格の半分程度にまで価格を下げ、1916年に販売台数は47万台を突破。1920年を迎える頃には、米国で保有される自動車の半分はT型フォードになりました。
フォードが開発した大量生産によって、自動車産業の構造が大きく変わり、それまで手の届かなかった自動車が誰でも手にできる存在となったのです。この頃から、急速に自動車が普及して、米国のモータリゼーションが始まりした。
●フォードの躍進と衰退
戦後のフォードは、「カスタム」、「フェアレーン」、「サンダーバード」など数々のヒットを飛ばし、1964年には世界的な大ヒットとなった「マスタング」が登場します。1970年、伝説的な経営者アイアコッカが社長に就任して、史上最高の収益を達成します。また好調が続いていた1979年には、経営危機に陥っていたマツダを傘下に収めました。
GMとともに世界の2強となったフォードでしたが、環境問題や原油価格の高騰などの影響で、主力のピックアップやSUVが燃費の悪さから敬遠されるようになり、経営状況は悪化。2008年のリーマンショックでは、経営破綻寸前まで追い込まれます。この時、米国ビッグスリーのGMとクライスラーは経営破綻しましたが、フォードだけは深刻化する前に適切な経営判断をしていたので倒産を免れました。
2016年、フォードは販売不振を理由に日本市場から撤退しました。アメリカ車のコピーから始まった日本の自動車産業ですが、この数十年、日本にはアメリカ車の大きなマーケットが生まれなかったため、仕方のないことかもしれませんね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)