目次
■荒聖治がチームゴウで日本人2人目のル・マン優勝ドライバーに
2004(平成16)年6月13日、第72回ル・マン24時間レースで「アウディスポーツ・ジャパン・チームゴウ」から参戦した「アウディR8」が総合優勝を飾りました。また、ドライバーのひとりである荒聖治は、日本人として2人目のル・マン優勝ドライバーとなりました。
●全日本GT選手権でデビュー。制覇するも1年限りで撤退
郷和道によって創設されたチームゴウは、1996年にチーム・ラーク・マクラーレンとしてJGTC(全日本GT選手権)GT500クラスに初参戦します。マシンは「マクラーレンF1 GTR」。トヨタ「スープラ」と日産「スカイラインGT-R」といった日本車が優勝争いを繰り広げると思われていたところに、前年にル・マン24時間レースで優勝を飾った車種で参戦したのです。
性能調整が課せられたものの、マクラーレンF1 GTRは圧倒的な速さをみせ、その年のドライバーズとチームチャンピオンというダブルタイトルを獲得。チームゴウは一躍モータースポーツの表舞台に立ちましたが、この1シーズンだけでJGTCから姿を消すこととなります。
●8度目の挑戦でついにル・マン24時間レースを制覇
JGTCを撤退したチームゴウは、翌1997年からル・マン24時間レースに参戦を開始します。
荒聖治がドライバーとして参戦するのは5度目の挑戦となった2002年からですが、この年は総合7位となり、翌年2003年には総合4位と上位に食い込みます。また同年のスパ1000kmとル・マン1000kmにも参戦して、総合優勝を飾りました。
8度目のチャレンジとなった2004年、アウディ・スポーツ・ジャパン・チームゴウのアウディR8は、スタート16時間でトップに立ち、悲願の総合優勝を飾ります。プライベートチームが優勝したのは日本では初めて。またドライバーのひとりであった荒聖治は、1995年の関谷正徳に続く日本人として2人目のル・マンの優勝ドライバーとなったのです。
その後も、チームゴウはスーパーフォーミュラ、JGTC、2020年にはインディーカー・シリーズに参戦するなど活躍を続けています。荒聖治も2004年以降、スーパーGTのGT500クラスで4勝を上げるなど、国内外で活躍しています。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)