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■バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回るインド航路を発見
1498年5月18日、ポルトガルの航海者であるバスコ・ダ・ガマが出港から10ヶ月を経て、アフリカの喜望峰を回ってインド西海岸のカリカットに到着しました。このインド航路の開設によって、ポルトガルはアジアの香辛料などの貿易を行い、膨大な富をもたらすことになります。ちなみにコロンブスは、スペインの援助を受けて1492年に西回り航路でカリブ海の島に上陸しています。
5月18日には、サッカーの大迫勇也、ミュージシャンの槇原敬之、俳優の瀬戸康史と寺尾聡、ゴルフの尾崎直道、WGPライダーの宇川徹、レーシングドライバーの谷口信輝、野球の東尾修などが生まれています。本日紹介するのは、宇川徹です。
●最高峰のMotoGPを日本人として初めて制覇した宇川徹が誕生
宇川徹は1973年(昭和48)年5月18日、千葉県で生まれました。10歳でポケバイを始め、高校時代はバイクの腕を磨くために、九州熊本の名門「チーム高武」に所属、下宿してアルバイトをしながらレースに参戦します。鈴鹿4時間や6時間耐久レースで勝利し、弱冠18歳でホンダワークスに迎えられると、1993年と1994年の全日本選手権250ccクラスで2年連続チャンピオンを獲得します。
1996年からロードレース世界選手権(WGP)にフル参戦。2002年に最高峰クラスMotoGPの南アフリカGPで、日本人として初めて優勝を飾ります。一方で鈴鹿8時間耐久には1994年から11回参戦し、史上最多の5度の優勝を飾る圧倒的な強さを見せます。2004年以降は、主にワークスマシンの開発ライダーとしてMotoGPにもスポット参戦しましたが、2006年にそれまでの実績を評価されて本田技術研究所に入社、市販モデルの開発に携わるため、現役を引退します。現在はポケバイレースやサンデーレースを開催して、若手の育成やモータースポーツの活性化に尽力しています。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●ハイブリッドの課題を解消して爆発的に売れた3代目プリウスがデビュー
2009年(平成21)年5月18日、トヨタの3代目プリウスがデビューしました。1997年にデビューした初代プリウスは、量産初のハイブリッド「THS(トヨタ・ハイブリッドシステム)」によって同クラスのガソリン車を圧倒する燃費を達成し、大きな注目を集めました。2003年の2代目は、完成度を高めて世界中にプリウスの名前を轟かせました。
そして2009年、さらに進化した3代目プリウスがデビューしました。THS IIは、モーター出力(50kW→60kW)の増大とともに、エンジン排気量(1.5L→1.8L)も拡大し、エンジン+モーターの最高出力は110PSから136PSへと大きく向上。排気量の拡大は、課題とされたパワー不足と高速燃費を改善する狙いがありました。
スタイリングはキープコンセプトでしたが、先進の空力設計によって世界トップクラスのCd値0.25を達成。電動ウォーターポンプや排熱回収器の採用によって、燃費は世界ナンバー1の38.0km/Lを記録して、プリウスの進化を世界にアピールしました。
さらに価格を先代よりも30万円近く低く設定することで、ハイブリッドは高いという声を一蹴し、2代目プリウスを凌ぐ爆発的なヒットを記録します。2代目で高まった人気を一気に爆発させた3代目。プリウスが世界中でハイブリッドの代名詞となったのもこの世代からですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)