蓄電式電車が走る/アストンマーティンF1を率いるM・ウィットマーシュ生まれる/大ヒットしたトヨタ・イストが販売終了【今日は何の日?4月29日】

■蓄電池に貯めた電力でモーター走行する畜電式電車が開通

1851年4月29日、米国ワシントン~メリーゴーランド州ボルティモア間の約63kmに、世界初となる蓄電式電車が走りました。いっぽう現在の電車に近い給電による電車は、1881年にドイツで実用化されました。最近の電車ではハイブリッド自動車のように、ディーゼルエンジンで蓄電池に充電し、減速回生もしながら、その電力を使ってモーター走行する架線なしのハイブリッド機関車もあるそうです。

4月29日は、昭和天皇の誕生日。その他、女優の広末涼子と田中裕子、野球の二岡智宏、詩人の中原中也、テニスのアンドレ・アガシ、F1チーム代表のマーティン・ウィットマーシュ、新聞王のウィリアム・ランドルフ・ハーストなどが生まれています。本日紹介するのは、最近アストンマーティンの代表に就任したマーティン・ウィットマーシュです。

●マクラーレンの一時代を築いたチーム代表のマーティン・ウィットマーシュが誕生

ウィットマーシュ(2006年) (C)Creative Commons
ウィットマーシュ(2006年) (C)Creative Commons

マーティン・ウィットマーシュは、1958(昭和33)年4月29日に英国で生まれました。1980年に大学の機械工学科を卒業して、技術者としてブリティッシュ・エアロスペース(国有航空宇宙企業)に就職。ジェット機の機体の生産などを担当していましたが、1989年にオペレーションマネージャーとしてマクラーレンに移籍します。

その後はとんとん拍子でステップアップ、1997年にマネージング・ディレクター、2004年にF1チームのCEO、2009年にはチーム代表に就任します。ウィットマーシュはルイス・ハミルトンをチャンピオンにするなど、その優れた手腕によってマクラーレンに多大な貢献をしましたが、2014年に成績不振の責任を取って代表を辞任しました。

そして、昨年10月に“ウィットマーシュが7年ぶりにF1復帰、アストンマーティンF1チームの代表に就任”との朗報が届きました。今後のウィットマーシュの手腕とアストンマーティンに注目ですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●ワンクラス上のコンパクトカーを目指したトヨタ・イストが販売終了

2016年(平成28)年の4月29日、トヨタの「イスト(ist)」が、14年間の歴史に幕を下ろしました。

2002年にデビューした初代イスト
2002年にデビューした初代イスト
2007年にデビューした2代目イスト。3ナンバー化したことで人気が下降
2007年にデビューした2代目イスト。3ナンバー化したことで人気が下降

2002(平成14)年5月にデビューした初代イストは、「ヴィッツ」のプラットフォームをベースにしたクロスオーバーSUV風の5ドアハッチバック。ヴィッツよりひと回り大きく、ボディに合わせて張り出したフェンダーと大型タイヤが特徴的でした。パワートレインは、VVT-i(可変バルブ機構)を採用した1.3L&1.5L直4DOHCエンンジンと4速ATの組み合わせ。個性的なフォルムと広い室内空間によって、発売1ヶ月で約4万2000台の受注を獲得する大ヒットを記録しました。

コンパクトカーの代名詞となった1999年にデビューした初代ヴィッツ
コンパクトカーの代名詞となった1999年にデビューした初代ヴィッツ

そして、2007年にモデルチェンジして2代目が登場。初代のキープコンセプトでしたが、全長は同じで3ナンバーサイズに全幅を拡大します。ところが、これが裏目となって、2代目の販売は初代に比べて大きく落ち込み、存在感が徐々に薄れてしまいました。

ボディ拡大は北米販売を意識したものでしたが、北米でジャストサイズが日本では敬遠されるというのはありがちなことですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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