日本初の女性博士誕生/米国人初のF1王者フィル・ヒル生まれる/第1回東京モーターショー開催!【今日は何の日?4月20日】

■保井コノが石炭の研究で女性初の理学博士に

1927(昭和2)年4月20日、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大の母体)からハーバード大学に留学した保井コノに、東京大学から女性初の理学博士の称号が授与されました。論文のテーマは、「日本に産する亜炭・褐炭・瀝青炭の研究」。48歳であった保井は、後にお茶の水大学の教授として後進の指導に尽力したそうです。この時代に女性が外国に留学して博士号を取得するには、大変な苦労があったでしょうね。

4月20日には、芸人のコウメ太夫、落語家の月亭八方、漫画のヤマザキマリ、豪モデルのミランダ・カー、米女優のジェシカ・ヤング、米俳優のライアン・オニール、F1ドライバーのフィル・ヒル、ヒットラーなどが生まれています。本日紹介するのは、米国人ドライバーのフィル・ヒルです。

●米国人初のF1チャンピオンに輝いたフィル・ヒルが誕生

フィル・ヒル(1991年アメリカGP)(C)Creative Commons
フィル・ヒル(1991年アメリカGP)(C)Creative Commons

フィル・ヒルは1927(昭和2)年4月20日、米国フロリダ州マイアミで生まれました。生まれてすぐにサンタモニカに引っ越し、9歳で初めてクルマを運転、12歳の時には父親のフォード・モデルTを私道で運転していたそうです。18歳で南カリフォルニア大に進みますが、退学して大手外車の販売代理店の整備士・営業職として働き始めます。この頃からレースに参戦し始め、1952年から私有のフェラーリを駆って活躍します。

1962年ニュルブルクリンクのフィル・ヒル(C)Creative Commons
1962年ニュルブルクリンクのフィル・ヒル(C)Creative Commons

その活躍が認められ、1953年に渡欧してフェラーリと契約。1958年にル・マン24時間レースで初優勝を飾り、1961年と1962年には連勝を果たします。F1には1959年よりレギュラー参戦し、1960年にイタリアGPで初優勝を飾ります。1962年に待望のチャンピオンに輝きますが、これはチームメイトのフォン・トリップスの壮絶なレース中の事故死によってもたらされた棚ボタであったため、フィル・ヒルにとっては後味の悪い栄光となりました。その後は成績が残せず、1964年にF1を引退しました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●今から68年前、東京モーターショーの前身となる東京自動車ショウが開催!

1954(昭和29)年4月20日、東京日比谷公園内で東京モーターショーの前身となる「第1回東京自動車ショウ」が開幕しました。

東京自動車ショウのポスター(引用:日本自動車工業会HP)
第1回東京自動車ショウのポスター(引用:日本自動車工業会HP)
1954年東京自動車ショウで展示されたトヨタのトヨペットRH型セダン(タクシー車)
1954年の東京自動車ショウで展示されたトヨタのトヨペットRH型セダン(タクシー車)

当時、クルマは庶民にとっては手の届かない高嶺の花。クルマ自体も海外車両のノックダウン生産が主流で、純国産のクルマはほとんど存在しませんでした。そのような中で開催された東京自動車ショウには、267台のクルマが展示されましたが、当時の主力はトラックやバスであったため、展示車の9割以上は商用車で、乗用車はわずか17台でした。しかし憧れのクルマを目のあたりにする初めての機会に、10日間の入場者数は延べ54万7000人と大盛況でした。

1954年東京自動車ショウで展示されたトヨペットトラック
1954年の東京自動車ショウで展示されたトヨペットトラック

トヨタからは、当時乗用車の大半を占めていたタクシー用のトヨペットRH型セダンとトヨペットトラック&バスが展示されました。そして翌年1955年の第2回東京自動車ショウには、純国産車のトヨペットクラウンが華々しくデビューし、その後もスズキ・スズライトやスバル360三菱500、マツダR360クーペなど続々と国産乗用車が登場し、日本のマイカーブームに火が付いたのでした。

ところが、最近は世界的にモーターショーが下火になっているようです。ネットなどで会場に出向かなくても十分な情報が得られることもありますが、昔にようにクルマ自体が憧れの存在でなくなってきたことも低迷の理由のようです。寂しいですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

Mr. ソラン 近影
某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きなクルマで、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。