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■タイタニック号の救難信号は世界最初のSOSだった
1912年4月10日、英国の豪華客船タイタニック号が、サザンプトンからニューヨークを目指して処女航海に出発しました。出港して4日目の4月14日深夜、ニューファウンドランド島沖で氷山に衝突して沈没。乗客・乗員1500人以上が亡くなるという、当時最悪の海難事故となりました。また、この時発信された救援のSOS信号が世界で初めてのSOSであったことから、今日は「SOSの日」に制定されています。
4月14日には、タレントの山里亮太、女優の杏、シンガーの今井美樹と桜田淳子、政治家の小泉進次郎、相撲の日馬富士、作家の佐々木隆三、新幹線の父と呼ばれる十河信二、大リーガーのピート・ローズなどが生まれています。本日紹介するのは、十河信二です。
●第4代国鉄総裁で「新幹線の生みの親」の十河信二が誕生
十河信二は、1884(明治17)年4月14日、愛媛県新居郡中村(現在の新居浜)で生まれました。上京して第一高等学校を卒業後、1905年に東大法科大学政治学科に入学。1909年卒業後、鉄道院に入庁し、米国留学などを経て1930年に南満州鉄道の理事に就任します。その後日中戦争が始まり、十河は戦争不拡大を唱えますが軍に聞き入れられず、日本に戻って1945年、故郷の愛媛県西条市の市長を務めます。この時、故郷のためにやるのであるから、報酬は一切受け取らないという条件だったそうです。
1955年、政府からの強い要望を受けて第4代国鉄総裁に就任。社員を前に「線路を枕に討死する覚悟である」と挨拶。その熱い情熱と卓越した手腕で、前例のない一大プロジェクトであった夢の超特急・新幹線は、オリンピック開催の9ヵ月前、1964年10月1日に無事開通しました。この功績から、十河は「新幹線の生みの親、新幹線の父」として称えられています。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●世界三大レースであるモナコグランプリが初めて開催!
1929年4月14日、モナコ公国で行われる格式の高い、第1回モナコGPが開催されました。モナコGPは、アメリカのインディ500、フランスのル・マン24時間レースと並ぶ「世界3大レース」の一つで、歴史と伝統あるレースです。モナコ公国の人口は3万人ほどですが、レース開催期間中は20万人以上の人が訪れるそうです。
モナコGPは、モンテカルロ市街地コースと呼ばれる公道を閉鎖した特設コースで行われ、最も速度は遅いですが、最も難しいサーキットと言われています。サーキット一周は3.34kmで、78周でフィニッシュとなります。頻繁なシフトチェンジ、狭いコース幅、多くのブラインドコーナー、公道ゆえの凹凸など、本当に優れたドライバーだけに優勝することが許されるレースなのです。
第1回の優勝は、ブガッティを駆けたウィリアム・グローバー・ウィリアムズでした。数々の歴史的な名勝負が繰り広げられていますが、歴代最多優勝はアイルトン・セナで5連勝を含む6勝です。続いて、ミハエル・シューマッハとグラハム・ヒルが5勝、アラン・プロストが4勝、3勝のドライバーには、スターリング・モス、ジャッキー・スチュワート、ニコ・ロズベルグ、ルイス・ハミルトンと、錚々たるドライバーたちが名を連ねます。
モナコGPは、お金持ちが楽しむレースというイメージがありますが、一度生で観戦してみたいですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)