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■霞が関ビルは高さ148m、36階建て
1968(昭和43)年4月12日、東京都千代田区霞が関に日本初となる超高層の霞が関ビルが完成。耐震対策として柔構造(振動を柔軟な構造材で吸収)の日本最初のビルであり、36階建ての高さ148mは当時東洋一でした。ちなみに現在日本一高いビルは、大阪のあべのハルカスで60階建ての高さ300m、世界一はドバイのブルジュ・ハリファの160階建て928mです。
4月12日には、サッカーの酒井宏樹、野球の岩隈久志、ミュージシャンの広瀬香美、アナウンサーの三雲孝江、作家の田中康夫、ラリードライバーのカルロス・サインツ、F1ドライバーのカルロス・ロイテマンなどが生まれています。本日紹介するのは、カルロス・サインツとカルロス・ロイテマンです。
●WRCで2度のチャンピオンに輝くカルロス・サインツ誕生
カルロス・サインツは、1962年4月12日スペインのマドリードで生まれました。大学時代に、スカッシュでチャンピオンになるほど活躍しましたが、ラリーに魅了されてラリードライバーになることを決意。1980年にルノーでラリー活動を始め、1987年にはフォードのワークスドライバーとして欧州選手権やWRCに挑戦します。その時の活躍が評価されて、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)からスカウトされることに。
1989年にTTEに移籍して、セリカGT-FOURでWRCに参戦します。1990年に1000湖ラリーで初優勝を飾ると、その年のチャンピンを獲得。1992年に2度目のチャンピオンとなりますが、その後1993年からはランチア、スバル、フォードへと転々と移籍を繰り返します。1998年にTTEに復帰し、優勝するも惜しいところでチャンピオン獲得はならず。結局、優勝26回、2度のチャンピオンという実績をもってWRCを引退。一方で、ダカールラリーで3回の総合優勝を果たすという輝かしい記録も残しました。
ちなみに息子のカルロス・サインツJr.は、現在F1ドライバーとして活躍しています。
●F1で通算12勝上げたアルゼンチンの英雄、カルロス・ロイテマン誕生
カルロス・ロイテマンは1942年4月12日、アルゼンチンのサンタフェで生まれました。ロイテマンのF1デビューは29歳と遅く、1972年ブラバムから出走したアルゼンチンGPでした。1974年に南アフリカGPで初優勝を飾って年間3勝を挙げ、翌年1975年にはドライバーズランキング3位となり、トップドライバーの仲間入りを果たします。その後、フェラーリ、ロータス、ウィリアムズを転々とし、何回かチャンピオン獲得のチャンスはありましたが、通算12勝を挙げたもののチャンピオンにはなれませんでした。
その他、1980年にフィアット、1985年にはプジョーのワークスドライバーとしてWRCに参戦。いずれも総合3位で表彰台を獲得します。現役F1ドライバーが、シーズン中にF1とWRCの両方でポイントを獲得した最初のドライバーとなりました。
レース引退後は政界に進出、生まれ故郷サンタフェの州知事を経て、連邦上院議員となり、2002年の大統領候補になるなど、政治家としても活躍しました。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)