日本初のカラー映画が公開/永遠のヒーロー、アイルトン・セナ生まれる/トヨタの北米躍進を支えたハイラックス誕生!【今日は何の日?3月21日】

■「カルメン故郷に帰る」が日本初のカラー映画

1951(昭和26)年3月21日、日本で初めて国産のカラー映画が上映されました。上映されたのは「カルメン故郷に帰る」で、北軽井沢を舞台にストリッパーのカルメンが故郷に帰るというストーリー。美しい北軽井沢の自然がカラーで描写され、多くの人がその鮮やかさに感動したとのこと。ちなみに、カラーテレビの放映が始まったのは1960年です。

3月21日には、俳優の佐藤健と岩城滉一、料理研究家の平野レミ、音楽家の加藤和彦、サッカーのロナウジーニョ、伝説のF1ドライバーのアイルトン・セナ、音楽の父のヨハン・セバスチャン・バッハなどが生まれています。本日紹介するのは、アイルトン・セナです。

●音速の貴公子と呼ばれた、ブラジルの英雄アイルトン・セナが誕生

アイルトン・セナ (C)Creative Commons
アイルトン・セナ (C)Creative Commons

アイルトン・セナは1960年3月21日、ブラジルのサンパウロで工場を営む資産家の長男として生まれました。4歳の頃にカートを始め、13歳でカートレースに参戦。1978年から1982年にかけては、世界カート選手権で活躍します。1983年から英国F3に参戦してチャンピオンとなり、1984年にトールマンからF1デビューを果たします。

アイルトン・セナが駆けるマクラーレン・MP48
アイルトン・セナが駆けるマクラーレン・MP48

初勝利はロータスを駆った1985年のポルトガルGP。1988年にマクラーレンへ移籍すると、88年、90年、91年と3度のチャンピオンに輝きます。コンピューターのような緻密さと野生のカンを持ち合わせた天才ドライバー。しかし孤高の存在が確執となることも多く、特にアラン・プロストとの争いは「セナ・プロ対決」と呼ばれました。ホンダとの関係も深く、NSXの開発に関わったり、TV-CMにも出演。伝説の多くは鈴鹿で作られています。

ところが1994年5月1日、天才ドライバーはレース中の一瞬の事故でこの世を去ってしまいました。記録だけを見れば他にも同等以上のドライバーはいますが、圧倒的なカリスマ性とドラマ性、さらには悲劇的な最期が加わり、いまだに人気ドライバーの投票では上位を獲得する伝説のヒーローです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●トヨタと日野が共同開発した初代「ハイラックス」がデビュー!

1968(昭和43)年3月21日、トヨタの「ハイラックス」がデビューしました。トヨタの「ライトスタウト」と日野自動車の「ブリスカ」の統合後継モデルとして登場。トヨタが企画して、日野が開発と生産を担当しました。

1968年に発売された初代ハイラックス
1968年に発売された初代ハイラックス
ハイラックスの後ろ外観。3人乗車で積載量は1トン
ハイラックスの後ろ外観。3人乗車で積載量は1トン

ハイラックスは頑強なセパレートフレーム構造を採用した積載量1トンの小型ボンネット・トラックです。パワートレインは、70PSを発揮する1.5Lエンジンと4速MTの組み合わせ。駆動方式は当初はFRのみでしたが、1年後に4WDが追加されました。当時、トヨタは積極的に米国進出を図っており、ハイラックスも初代からピックアップの本場である米国に「トヨタトラック」の名で輸出。タフで壊れない高い信頼性と使い勝手の良さが評価され、米国でも人気を博しました。

2017年に発売された8代目ハイラックス
2017年に発売された8代目ハイラックス

その後54年間、市場の要求に合わせてモデルチェンジしながら世界180ヵ国以上に輸出され、世界累積販売台数は現在2000万台を超えました。日本では一旦販売を休止していましたが、2017年に8代目となる現行のハイラックスが復活。最近は商用でなく、お洒落な多目的車として若者から人気があり、街中でよく見かけるようになりましたね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる