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■太陽系7番目の惑星、天王星を発見
英国で音楽教師兼楽団長であったウィリアム・ハーシェルが、1781年3月13日に太陽系7番目の惑星・天王星を発見しました。彼はいわゆるアマチュア天文家でしたが、この発見で王室の天文官に抜擢されました。ちなみに天王星は、地球の約4倍の大きさで、大気は主に水素だそうです。
さて、3月13日に生まれたのは、バドミントンの奥原希望、タレントの今田耕司、女優の戸田菜穂と吉永小百合、ラリードライバーの増岡浩、ジャーナリストの鳥越俊太郎、将棋士の大山康晴、彫刻家の高村光太郎などです。本日紹介するのは、パリダカ(パリ・ダカールラリー)覇者の増岡浩です。
●パジェロで日本人初のパリダカ2連覇を果たした増岡浩が誕生
増岡浩は1960(昭和35)年3月13日、埼玉県入間市で林業を営む家庭に生まれました。木材の運搬等に利用されていたジープ(当時三菱がノックダウン生産)に憧れ、最初に買ったクルマはジープJ58。すぐに2.0Lエンジンをデボネア搭載の2.6Lエンジンに換装するなどして、レースに出場したそうです。
22歳の時、増岡の果敢な走りを見た三菱自動車関係者から声を掛けられ、1982年に三菱傘下の「ラリー・アート」に入社。海外ラリーで活躍の後、1987年にパジェロでパリダカに初参戦を果たします。1990年と1994年にT2クラスで優勝、2002年には初の総合優勝を成し遂げ、2003年に日本人初の2連覇を飾りました。2009年をもって三菱がパリダカから撤退したため、2012年以降3年間はパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにチーム監督兼ドライバーとして挑戦。現在はレースから離れ、三菱で車両評価やテストドライバーの育成といった重要な仕事を任されています。
1997年に日本人初のパリダカ優勝ドライバーとなった篠塚建次郎とともに、パジェロ人気と日本にパリダカ旋風を巻き起こした増岡浩。日本ラリー界にとっても大きな金字塔を打ち立てた功績は極めて大きいですね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●若者から支持されたデートカーの元祖、3代目シルビアがデビュー!
1979(昭和54)年3月13日、日産自動車のスペシャルティカー「シルビア」がフルモデルチェンジして3代目となりました。曲線基調のアメ車風スタイリングの2代目シルビアは市場で評価されず、販売が低迷する中でのバトンタッチでした。
3代目シルビアは、走りを重視したスペシャルティカーに相応しい直線基調のウェッジシェイプを採用。低いノーズラインと傾斜したフロントウィンドウ、リアのオペラウィンドウなどが特徴的でした。当初は2ドアノッチバックのハードトップのみでしたが、8月にはハッチバッククーペも追加されています。インテリアは透過照明のインストルメントパネルやムーディなランプなど、ドライブを盛り上げる演出がなされていました。エンジンは、1.8Lと2.0Lの直4 SOHCがベースでしたが、その後ターボモデルやR30スカイラインと同じ4バルブDOHCエンジンが追加で搭載されました。なおこの3代目と4代目シルビアには、日産・モーター店向けの兄弟車「ガゼール」が存在していました。
シャープなスタイリングとお洒落なインテリアが多くの若者に支持された3代目シルビア。今では死語となった「デートカー」の元祖的なモデルとして存在感をアピールしたのでした。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)