バレンタイン司教、処刑される/不世出のドライバー ロニー・ピーターソン生誕/今では500万円も!?日産フィガロがデビュー!【今日は何の日?2月14日】

■チョコレートを送るのは日本の独自文化

2月14日は「バレンタインデー」です。西暦269年のこの日、ローマ皇帝の兵士の自由恋愛禁止令に反対したバレンタイン司教が、処刑されたことに由来します。チョコを男性に贈る日本の習慣は、1958年にメリーチョコレートカムパニーが行ったチョコレートセールが始まりとされています。

さて、2月14日に生まれたのは、歌手のJUJU、女優の山口紗弥加、タレントのヒロシ、美術家の岡倉天心、侠客の清水次郎長、レーシングドライバーのロニー・ピーターソンなどです。本日紹介するのは、スウェーデン人ドライバーのロニー・ピーターソンです。

●チャンピオンにはならなかったが、誰もが最速と認めたロニー・ピーターソンが誕生

ロニー・ピーターソン(1978年オランダGP) (C)Creative Commons
ロニー・ピーターソン(1978年オランダGP) (C)Creative Commons

ロニー・ピーターソンは、1944年2月14日にスウェーデンのエレブルーで生まれました。1970年代のF1最速のドライバーとして、多くの人がロニー・ピーターソンを挙げ「無冠の帝王」とか「スーパー・スウェード(スウェーデン人)」と称賛されるいっぽう、F1なのにドリフトさせて走るので「サイドウェイ(横走り)・ロニー」とも呼ばれていました。

1975年レース中のロニー・ピーターソン(C)Creative Commons
1975年レース中のロニー・ピーターソン(C)Creative Commons

ロニーは、1968年と1969年にスウェーデンF3を制覇してマーチの目に留まり、F2を経てF1に参戦を果たします。1971年に欧州F2チャンピオン、F1では5度の表彰台を獲得、1973年にロータスに移籍して、ついにフランスGPでF1初優勝を飾りました。チームとマシンに恵まれない時期もありながら、その後も優勝を重ね、計10回の優勝を飾ります。ところが1978年、チャンピオンを目指していたイタリアGPでスタート直後のクラッシュに巻き込まれて、あっけなくこの世を去ってしまいました。もう少しだけ生きていたら、絶対にチャンピオンになっていたはずと、誰もがそう思ったそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●現在も人気。レトロな雰囲気の日産パイクカー第3弾フィガロがデビュー!

1991年にデビューしたフィガロ
1991年にデビューした日産フィガロ
フィガロの後ろ外観。なだらかな曲線基調で、ルーフは折り畳んで開閉可能
日産フィガロの後ろ外観。なだらかな曲線基調で、ルーフは折り畳んで開閉可能

1991(平成3)年2月14日、日産からパイクカーシリーズ第3弾「フィガロ」がデビューしました。パイク(Pike)とは、ある目的のコンセプトのためにデザインに特化した「とんがった」クルマを指します。第1弾は1987年の「Be-1」、第2弾は1989年の「パオ」でした。

第3弾としてデビューしたのがフィガロです。曲面を基調にしたパステルカラーのボディと対照的な白いルーフが、フランスの小型車を彷彿させるようなお洒落な雰囲気がありました。ルーフのソフトトップは、中央部分だけを折りたたんで簡単に後部に収納することが可能。インテリアもレトロ調で、シートは本革仕様が標準装備されました。パワートレインはマーチターボの1.0L直4 SOHCターボエンジンと3速ATの組み合わせ。駆動方式はFFです。

フィガロのレトロ調のインテリア
日産フィガロのレトロ調のインテリア

個性的な雰囲気のフィガロは、予想通り高い人気を獲得。限定2万台を3回に分けて抽選するという変則的な販売が行われました。30年経った現在でも中古車市場では高い人気を保ち、高値で取り引きされ、現在では500万円のプライスタグが付いていることもあるようです。セカンドカーとして所有すれば、ちょっとお洒落かもしれませんね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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