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■NHKが東京でTV放送開始「テレビ放送記念日」
1953(昭和28)年2月1日、NHK東京放送局が日本初のテレビ放送を行いました。放送開始時の受信契約数は866件だったそうです。当時の白黒テレビの値段は、大卒の初任給が8000円の時代に約20万円。そのため、最初はデパートや駅などに設置された「街頭テレビ」に、多くの人が熱狂しました。
さて、2月1日に生まれたのは、俳優の吉沢亮と中村雅俊、野球選手の沢村栄治、ジャズミュージシャンの渡辺貞夫、実業家の石橋正二郎、米国俳優のクラーク・ゲーブルなどです。本日紹介するのは、ブリヂストン創業者の石橋正二郎です。
●地下足袋造りから世界トップのタイヤメーカーに成長させた石橋正二郎が誕生
石橋正二郎は、1889(明治22)年2月1日、福岡県久留米市で着物や襦袢を縫う仕立て屋の次男として生まれました。仕立て屋から足袋製造に転向、その後地下足袋を発明して、1923年にはゴム底靴を販売して大成功を収めます。1931年、自動車が将来普及することを予測してタイヤ事業進出のために、ブリヂストンタイヤを設立。当初は、自転車のタイヤが主でしたが、自動車の普及とともに自動車用タイヤの需要が急増して、ブリヂストンも急成長していきます。ブリヂストンという会社名が、創業者の石橋正二郎の石(ストン)と橋(ブリッジ)に由来するのは有名な話ですね。当時主流の海外ブランドのタイヤに対抗するために、英語で会社名や製品名を付けたらしいです。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●欧州車に対抗するミドルクラスセダンの日産プリメーラがデビュー!
1990(平成2)年2月1日、日産のミドルクラスセダン「プリメーラ」がデビューしました。当時はバブル景気で、日産はハイソカー「シーマ」や高級スポーツ「フェアレディZ」、「スカイライン GT-R」の大ヒットが続き、絶好調。次に目指したのが、欧州車に負けない世界戦略セダンでした。
プリメーラが目指したのは、日本だけでなく欧米市場でも通用するミドルクラスの本格セダン。低くて短いフードに長いキャビンといったスタイリングに派手さはありませんでしたが、広い室内空間を確保したシックな雰囲気のセダンでした。足回りは、スカイラインなどで採用したマルチリンク式フロントサスペンションを組み込み、エンジンは1.8L&2.0L直4DOHCが搭載されました。その結果、プリメーラが評価されたのは、スタイリングや居住性以上に、欧州車のような安定した足回りと操縦安定性でした。
当初の販売は、予想を上回る販売実績を記録しました。しかし、マイナーチェンジを行った1992年頃から、日本はバブル崩壊期を迎え、セダン冬の時代に突入。プリメーラの販売も、徐々に下降線を辿ってしまいました。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)