日本初の五つ子誕生/黒人初のメジャー選手ジャッキー・ロビンソン生まれる/カローラ レビンが復活!【今日は何の日?1月31日】

■日本中がお祝いムードに包まれた五つ子誕生

1976(昭和51)年1月31日、鹿児島市立病院で日本初の五つ子(男児2人、女児3人)が誕生し、日本中が祝福で大フィーバーとなりました。今年で皆さん46歳になる計算ですが、ご両親は喜びもご苦労も大きかったはず。お話を聞きたくなりますね。

さて、1月30日に生まれたのは、タレントの香取慎吾、ゴルファーの片山晋呉、作家の大江健三郎、徳川家康、作曲家のフランツ・シューベルト、メジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンなどです。本日紹介するのは、ジャッキー・ロビンソンです。

●メジャーリーグ初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソンが誕生

ジャッキー・ロビンソン(1954年) (C)Creative Commons
ジャッキー・ロビンソン(1954年) (C)Creative Commons

大谷翔平選手の大活躍でベーブ・ルースが話題になることが多いですが、そのベーブ・ルースと並ぶほどの歴史的なメジャーリーガーが、ジャッキー・ロビンソンです。ジャッキー・ロビンソンは、米国ジョージア州カイロで1919年1月31日に生まれました。厳しい環境で育ちましたが、スポーツ特待生で高校、大学へ進学し、軍隊、マイナーリーグを経て、メジャーに昇格します。当時は、人種差別が厳しい時代で、試合中に厳しいヤジや生卵をぶつけられるのは当たり前、相手チームから対戦を拒否されるなど、想像を絶するひどい扱いを受けました。それでも、ロビンソンの野球に対する真摯な姿勢が評価され、徐々にチームや球界で信頼を勝ち取り、3年目には首位打者、盗塁王、MVPに輝き、オールスターゲームにも選ばれました。彼の活躍は、メジャーリーグのみならず、人種差別問題に大きな影響を与え、初の黒人メジャーリーガー以上の大きな功績を上げたのです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●排ガス規制で生産を中断したトヨタのカローラ レビンが復活!

1977年に登場したカローラレビン
1977年に登場したカローラ レビン
カローラレビンの後ろ外観。”DOHC EFI”のロゴ入りデカールがサイドに貼付
カローラ レビンの後ろ外観。”DOHC EFI”のロゴ入りデカールがサイドに貼付

1977(昭和52)年1月31日、トヨタ・カローラにクーペモデルが追加されたタイミングで、「カローラ レビン(TE51型)」が復活しました。カローラ レビンは、1972年にカローラ クーペよりさらに高性能バージョンのモデルとして初代(TE27型)がデビュー。1974年にモデルチェンジを行い2代目前期型(TE37型)が登場するものの、厳しい排ガス規制に対応できず、わずか256台で翌年生産を中止します。

そして、2年後に排ガス規制をクリアして登場したのが、2代目後期型のカローラ レビンです。外観は、従来のクーペスタイルですが、サイドに貼付された”DOHC EFI”のロゴ入りデカールや専用ホイールとスチールラジアルタイヤが特徴。内装については、ダーク系色でまとめてメタル系のインパネ、ハイバックシートや吊り下げ式アクセルペダルがスポーティさを演出。パワートレインは、1.6L直4 DOHCエンジンのEFI(電子制御燃料噴射装置)仕様と5速MTの組み合わせでした。

カローラレビンの運転席周り。インパネがメタル調でスポーティさを強調
カローラ レビンの運転席周り。インパネがメタル調でスポーティさを強調

1970年の米国マスキー法を発端として、1970年代中頃の日本は毎年のように排ガス規制の基準が強化され、多くのクルマがパワーを落とす傾向にありました。このレビンも、初代レビンの走りを良く知っている人からは「DOHCらしくない」やら「走りがマイルド過ぎる」と、評判はあまり良くなかったようです。規制に翻弄された不遇のモデルといえるでしょう。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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