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■通信方法を一変させた電子メールの日
1月23日は「いい・ふみ」の語呂合わせで「電子メール」の日です。LINEやTwitterなどSNSの普及によって電子メールの使用頻度が下がっているようですが、ビジネスとなるとやはり電子メールが必須ですよね。
さて、1月23日に生まれたのは、俳優のムロツヨシ、プロレスのジャイアント馬場、物理学者の湯川秀樹、政治家の西郷隆盛、米国俳優のハンフリー・ボガードなどです。本日紹介するのは、湯川秀樹です。
●日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が誕生
湯川秀樹は、1907(明治40)年1月23日に東京麻布に生まれました。無口で物静かな少年でしたが、秀才として有名で中学を4年(本来は5年)で終えて、飛び級で旧制三高に進み、この時すでに英語で量子論を読んでいたとのこと。京都大学物理学科を卒業後、講師として研究を進め、1934年に「中間子論」を発表します。原子核内部では、陽子や中性子を互いに結合させる強い媒介となる中間子の存在を提唱、後にこれが実証されたことから1949年に日本人として初めてノーベル(物理学)賞を受賞しました。敗北感に打ち拉がれていた戦後の日本に、大きな希望の光を与えてくれたことは言うまでもありませんね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●流麗なスタイルも存在感が薄かったマツダのユーノス500デビュー!
1992(平成4)年1月23日、マツダは当時展開していたユーノス系列で、ミディアムセダン「ユーノス500」の販売を始めました。ユーノス店は1989年からマツダが進めた5チャンネル体制のひとつで、「ユーノス・ロードスター」や「ユーノス・コスモ」など、上質かつ斬新なモデルを販売しました。
ユーノス500はロングノーズ・ショートデッキの流麗なフォルムに、美しい艶めきを放つ高性能ハイレフコート塗装を施していました。インテリアについても、ラウンディッシュなインパネや上質な素材のシートなどで高品質かつ高機能な空間を演出。パワートレインは1.8Lと2.0LのV6DOHCエンジンに、4速ATおよび5速MTの組み合わせ。トップグレードには本革シートや電動サンルーフ、キーレスエントリーシステムが標準装備されていました。
欧州的な流麗なフォルムが特徴のユーノス500でしたが、販売は伸びませんでした。1990年代のマツダ低迷の主原因となった5チャンネル体制下の混乱の中での登場だったため、マツダのニューモデルに対する市場の反応が冷たかったのです。日本では、存在感を示せないまま1995年で販売を終えましたが、欧州では評価されて1999年まで販売が続けられたのでした。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)