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■1年で最も寒さが厳しい大寒
今日は、二十四節気の「大寒」で、1年で最も寒くなるといわれている日です。二十四節気とは、春夏秋冬の4つの季節それぞれを、さらに6つに分割した暦です。次が2月3日の「立春」なので、あと2週間ほど経てば少しずつ暖かくなりますね。
さて、1月20日に生まれたのは、美容家・タレントのIKKO、芸人の上島竜平、作家の有吉佐和子、技術者の高柳健次郎、映画監督のフェデリコ・フェリーニなどです。本日は、高柳健次郎を紹介しましょう。
●世界初のブラウン管による電子表示に成功した高柳健次郎博士が誕生
高柳健次郎は、1899(明治32)年1月20日に静岡県浜松市で生まれました。東京高等学校(現、東京工大)の工業養成所を卒業後、1924年に浜松高等工業学校(現、静岡大工学部)の助教授となり、テレビジョンの研究を始めます。電子表示のため独自に開発したブラウン管の試作を芝浦電気(現、東芝)に依頼して、1926年の12月25日に世界で初めてブラウン管上に電子的に文字を表示することに成功。テレビに表示されたのは、いろは順の最初の文字“イ”でした。その後も、日本のテレビの開発に尽力して、「日本のテレビの父」と称されています。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●マツダ混迷時に登場した2ドアスペシャリティカーのMX-6!
1992(平成4)年の1月20日、マツダのスペシャリティカー「MX-6」がデビューしました。初代は北米専用車として1987年にデビューしていましたが、この2代目から日本にも投入されたのです。
MX-6はミドルセダン「クロノス」をべースにした2ドアクーペ。登場タイミングはやや遅いですが、デートカーとして人気を博した「ホンダ・プレリュード」や「日産 シルビア」のような雰囲気がありました。シャープなノーズのワイド&ローの流麗なスタイリングのボディに、パワフルな2.0Lおよび2.5L V6DOHCエンジンを搭載。駆動方式はFFでしたが、4WSなどの先進技術も装備したクーペらしい俊敏な走りが自慢でした。
クルマとしての出来栄えは良く、スタイリッシュなデザインが魅力的なMX-6でしたが、日本では注目されることは少なく、販売も伸びませんでした。当時バブル崩壊が始まっていたこと、多チャンネル化の失敗によってマツダ自体の経営状況が良くなかったこと、さらに同時期にマツダから人気の「RX-7」や「ユーノスロードスター」が登場、といった悪条件が重なったことが、MX-6低迷の理由でした。
なぜ、このタイミングで登場したのか疑問ですが、もう少し早いバブル期に登場していたら、人気モデルになっていたのでは、と思ってしまいますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)