北京原人の頭骨発見/日本人が初めて宇宙へ/ホンダ2代目オデッセイがデビュー!【今日は何の日?12月2日】

■北京郊外の洞窟で北京原人の頭骨発見、秋山豊寛さんが日本人初の宇宙飛行に成功

北京原人の銅像
北京原人の銅像

1929(昭和4)年12月2日、北京から南西50kmに位置する周口店の石灰洞窟で、北京原人「ホモ・エレクトゥス・ペキネンシス」の頭骨が発見されました。発見したのは、後に中国を代表する考古学者になる裵文中氏で、それ以降頭骨6点を含む約40体分の骨と149本の歯が発見されました。北京原人は、ジャワ原人より進化しており、火や石器を使っていたとされています。生存したのは、今から500万年~1万年前とされています。

秋山豊寛飛行士肖像画(C)Creative Commons
秋山豊寛飛行士肖像画(C)Creative Commons

また1990(平成2)年のこの日、当時TBSの記者だった秋山豊寛氏を乗せたソ連(現ロシア)の「ソユーズTM11号」が打ち上げられ、日本人として初めて宇宙飛行を行いました。秋山氏は、日本人初の宇宙飛行士であるとともに、世界で初めて宇宙に行ったジャーナリストでもありました。本来は、毛利衛氏が秋山氏より先に1988年に打ち上げ予定であった米国のスペースシャトル「エンデバー」に搭乗するはずでしたが、1986年の「チャレンジャー」の空中爆発事故が発生したため、延期されたのです。その後、毛利氏は1992年の「エンデバー」に搭乗して、日本人で2番目の宇宙飛行士になったのでした。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●人気のミニバン、ホンダのオデッセイ2代目デビュー!

1999年に登場した2代目オッデセイ
1999年に登場した2代目オデッセイ
2代目オッデセイの後ろ外観。背が低い乗用車ライクなミニバンとして人気
2代目オデッセイの後ろ外観。背が低い乗用車ライクなミニバンとして人気

1999(平成11)年のこの日、ホンダのミニバン「オデッセイ」が初のモデルチェンジを行い、2代目に進化しました。1994年にデビューした初代オデッセイは、それまでの商用車ベースのミニバンとは異なり、乗用車ベースで車高は低いが、3列シートの広い室内空間を確保した新世代ミニバンとして大ヒット、新しいミニバンブームを開拓しました。

続いて登場した2代目は、基本コンセプトを継承しつつ、さらに使い勝手と快適性、走りを向上させました。パワートレインは2.3L直4SOHC16Vエンジンには4速AT、ハイグレードの3.0L V6SOHC24Vエンジンには5速ATを組み合わせ、駆動方式はFFと4WDが選択可能でした。

2代目オッデセイのシート配列。3列シートでフラットフロア化が可能
2代目オデッセイのシート配列。3列シートでフラットフロア化が可能

初代と同じトルクフルなエンジンを搭載した2代目オデッセイは、剛性を向上させたボディやリファインした足回りなどによって、初代を凌ぐ軽快な走りと操縦安定性を実現。また室内空間についても、3列目は十分とは言えないまでも実用上は問題のないレベルで、ファミリー層に歓迎されました。

1994年にデビューした初代オデッセイ。新世代ミニバンを開拓して大ヒット
1994年にデビューした初代オデッセイ。新世代ミニバンを開拓して大ヒット

初代オデッセイは、2代目登場までの約5年間で国内販売42万台を達成。2代目オデッセイも、デビュー直後にカローラを上回る販売台数を記録して、人気をさらに加速。初代が開拓したミニバンブームを、さらに堅固なものにしたのでした。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる