スエズ運河が開通/EV走行距離の世界記録樹立/イタリアンデザインのスカイラインスポーツがデビュー!【今日は何の日?11月17日】

■地中海と紅海を結ぶスエズ運河が開通

スエズ運河
スエズ運河

1869(明治2)11月17日、ヨーロッパの地中海と中東アジアの紅海を結ぶ全長193kmのスエズ運河が開通しました。それ以前は、ヨーロッパと中東アジアを往来するには、アフリカ最南端ケープタウンを迂回するしかありませんでした。スエズ運河の開通によって時間や労力、経費などが大幅に低減されたことはいうまでもありません。いかに重要なルートであるかを証明したのが、今年の3月に起こった日本のコンテナ船の座礁です。座礁によって1週間近く運河が塞がれたため、世界のサプライチェーンが大混乱になったことは、まだ記憶に新しいですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●日本EVクラブのEVが航続距離555.8kmの世界記録を樹立

日本EVクラブによるEV世界記録達成(引用:日本EVクラブHP)
日本EVクラブによるEV世界記録達成(引用:日本EVクラブHP)

2009年(平成21)年のこの日、電気自動車の普及を目指す日本EVクラブが、無充電での航続距離の世界新記録555.8kmを達成しました。それまでの世界記録は、テスラの「テスラロードスター」が樹立した501kmでした。挑戦したEVは、ダイハツミラ・バン」をベースに、三洋電機(現、パナソニック)製のPCにも採用されている汎用リチウムイオン電池を8320本床下に敷き詰めた自作EVでした。「電気自動車は航続距離が短くて使えない」という評判を払拭するのが目的で、東京から大阪まで約560kmの道のりに挑戦したのでした。当時としては凄い記録でしたが、その後電動車の技術は急速に進み、12年経った現在では、航続距離500kmを超える市販車EVは珍しくないですね。

●トリノモーターショーでスカイラインスポーツがデビュー!

1960(昭和35)年のこの日、富士精密工業(プリンス自動車工業を経て現在の日産自動車)の「プリンス・スカイラインスポーツクーペ」と「プリンス・スカイラインスポーツコンバーチブル」が、トリノモーターショーでデビューしました。スカイラインスポーツは、イタリアの巨匠ミケロッティがスタイリングを手がけ、ボディのほとんどがイタリアの職人の指導による手作りでした。

1962年発売のスカイラインスポーツクーペ、つり目4灯ヘッドライトが目を引く
1962年に発売されたスカイラインスポーツクーペ。つり目4灯ヘッドライトが目を引く
1962年発売のスカイラインスポーツクーペのイタ車風の後ろ外観
スカイラインスポーツクーペのイタリア車っぽい後ろ外観

スカイラインスポーツは、初代スカイラインをベースにクーペとコンバーチブルが設定され、つり目4灯ヘッドライトで極端に長いリアオーバーハングが特徴でした。ドライバー正面にエンジン回転計と速度計、中央部に4連補助メーターを装備し、シートは本革でした。パワートレインは当時最強の1.9L直4 OHCエンジンと3MTの組み合わせ。駆動方式はFRでした。

1957年発売の初代スカイライン、こちらはアメ風スタイル
1957年発売の初代スカイライン。こちらはアメ風スタイル

1961年4月秋の東京モーターショーでプロトタイプが披露され、発売は富士精密工業改めプリンス自動車から1962年4月に始まりました。ほとんどがハンドメイドのため、価格はクーペが185万円、コンバーチブルが195万と、当時として破格の価格設定でした。大卒初任給が2万円足らずで、それまで最も高価だったグロリアが115万円だったことを考えると、現在の価値に置き換えると2000万円近い価格です。

多くの人々の注目を集めたスカイラインスポーツでしたが、販売台数はクーペとコンバーチブルを合わせても53台と言われています。もちろん、高価すぎたことが理由ですが、本場イタリアのデザイン技術や複雑な板金技術などは、後のスカイラインの開発に活かされたはずです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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