火星人襲来?/ブルーバードがサファリラリー優勝/ホンダ・シティに2代目登場!【今日は何の日?10月30日】

■ラジオドラマ「火星人襲来」で大パニック

今日は何の日?
火星人が襲来してくる?

1938(昭和13)年10月30日、米国シカゴのラジオ放送局がドラマの冒頭で、「火星人が襲来する」という架空のニュースを流しました。これを聞いた多くの人が本気にして、シカゴ中が大パニックを起こしました。当時米国では「宇宙戦争」や「宇宙人襲来」、「宇宙旅行」といった映画やドラマが大ヒットし、「火星人は実在するのでは」という空気が高まっていたため、大騒ぎになったのでした。この事件は集団心理の研究などにも引用されましたが、さて、日本だったらどうだったでしょうね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●サファリラリーでブルーバード1300SSがクラス優勝

1966年サファリラリーでクラス優勝した1300SS
1966年サファリラリーでクラス優勝した1300SS

1966(昭和41)年のこの日、日産の「ブルーバード1300SS」が南アフリカのケニアで開催されたサファリラリーで日本車初のクラス優勝を飾りました。ブルーバード1300SSは、2代目ブルーバードで初めて設定された1200SS(スポーツセダン)のエンジンを排気量1.3Lに拡大してパワーアップしたモデルです。SU型ツインキャブ、圧縮比アップ、高速カム、デュアル排気管などチューニングが施され、最高出力72PS/最大トルク10.2kgmを誇りました。

1970年に総合優勝した1600SSS、写真は1971年サファリラリーの様子
1970年に総合優勝した1600SSS、写真は1971年サファリラリーの様子

サファリラリーのクラス優勝は、日本車の優秀さを世界にアピールする先駆けとなりました。しかし、国内では同時期にデビューした「ブルーバード1600SSS」が主役であり、国内レースでの出番はありませんでした。そのブルーバード1600SSSは後の1970年、サファリラリーで総合優勝を果たすことになります。

●トールボーイからロー&ワイドに大変身したホンダの2代目シティ登場!

1986年発売の2代目シティ
1986年に発売された2代目シティ
1886年発売の2代目シティ、ロー&ワイドのコンパクトカー
2代目シティの後ろ外観。ロー&ワイドのコンパクトカー

1986(昭和61)年のこの日、ホンダの初代シティがモデルチェンジして2代目がデビューしました。1981年にデビューした初代シティは、“トールボーイ”と呼ばれた独特の背高ノッポスタイルで、若者を中心に大人気を博しました。2代目は、その人気のスタイルをあっさりと変更して、多くの人を驚かせました。

2代目は、初代とはまったく異なるロングホイールベースのロー&ワイドのスタイリングに変貌。クルマとしての基本機能と効率の徹底追及という開発目標を掲げ、新世代のコンパクトカーを目指しました。特徴的なのは、低重心に加えてフラッシュサーフェイスと軽量化によって、走りを重視していた点です。パワートレインも一新、軽量で高剛性のアルミシリンダーブロックを採用した1.2L直4OHC16Vエンジンに5速MTおよびホンダマチック4速ATを組み合わせ、駆動方式はFFでした。

1981年発売の初代シティ、「トールボーイ」と呼ばれて大ヒット
1981年発売の初代シティ。「トールボーイ」と呼ばれて大ヒット

走りに磨きをかけた2代目シティでしたが、初代のような人気を得られませんでした。初代のシティのイメージがあまりに強すぎたためか、スタイルがシンプルで地味過ぎるという意見が多く、その存在感を示せなかったのが原因です。その後、さまざまな改良を加えていきましたが販売は伸びず、1994年には生産を終了しました。

ヒットモデルの後継でありながら、基本コンセプトを大胆に変更した2代目シティ。市場ではあまり評価されませんでしたが、一方でチャレンジ精神旺盛なホンダらしいモデルとも言えますね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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