日本初の公衆電話/米国同時多発テロが発生/ホンダの軽トゥデイ登場!【今日は何の日?9月11日】

■公衆電話の日、米国で9.11同時多発テロが発生

昔の電話ボックス
昔の電話ボックス

1900(明治33)年9月11日、東京の上野駅と新橋駅に、日本で最初の公衆電話が設置されました。この公衆電話は、電話をかけたい時にはまず交換手を呼び出し、続いて必要な料金を硬貨で投入して、交換手が手動で通話先に接続する仕組みでした。料金は、5分の通話で15銭(現在の価値では2500円程度)と高く、交換手のミスが多かったこともあり、使う人はあまりいなかったようです。ちなみに、翌月には電話ボックスが登場し、1925年に交換手を介さない自動交換方式の電話が登場し、現在の公衆電話の原型が出来上がりました。

旅客機が世界貿易センターに激突炎上する瞬間(C)Creative Commons
旅客機が世界貿易センターに激突炎上する瞬間(C)Creative Commons

また、2001(平成13)年のこの日、イスラム系過激派テロ組織「アルカイダ」のメンバーによって、米国同時多発テロが発生。4機の旅客機がハイジャックされ、うち2機は世界貿易センタービルに突入して爆発炎上、1機は国防総省(ペンタゴン)に激突、残りの1機はワシントンに向かう途中に墜落しました。犠牲者が約3,000人、負傷者は約6,000人以上という未曽有の航空機テロとなり、全世界に大きな衝撃と恐怖を与えました。この同時多発テロ事件後、米国はアルカイダと関係あるとされたアフガニスタンのタリバンを制圧、新政府樹立を後押しました。ところが不甲斐ないアフガン新政府は自立できず、21年後の今年2021年、米国軍はアフガン撤退を遂行。現在、タリバンが息を吹き返し、大混乱に陥っていることはご存知の通りです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●ホンダとして11年ぶりに復活した軽トゥデイはボンネットバン!

1985(昭和60)年のこの日、ホンダの軽自動車「トゥデイ」がデビューしました。トゥデイは、ホンダとしては「ライフ」の生産終了から11年ぶりに復活した軽自動車です。

1985年発売のトゥデイ
1985年に発売されたホンダ・トゥデイ
1985年発売のトゥデイの横外観、ロングホイールベース&ワイドトレッドが特徴
トゥデイの横外観、ロングホイールベース&ワイドトレッドが特徴

トゥデイは、当時流行っていたボンネットバン(商用車)として、ホンダ独自の「M・M(Man-Maximum、Mech-Minimum)思想」である“人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に”を合言葉に開発されました。そのため、全高は低いながら、軽自動車としてはロングホイールベースでワイドトレッド、タイヤは可能な限り4隅に配置して大きな居住空間を確保しているのが特長です。

1985年発売のトゥデイの後ろ外観、ボンネットバンらしく後席はヘッドレストなく、簡易な可倒式
トゥデイの後ろ外観、ボンネットバンらしく後席はヘッドレストがなく、簡易な可倒式

外観は、愛らしい丸いヘッドライトを組み込んだ大胆なスラント&ショートノーズのフォルムを採用、パワートレインは、当時の軽規格に合わせた0.55L水冷2気筒SOHCエンジンに4速MTおよび3速ATホンダマチックの組み合わせ、駆動方式は基本FFですが、後に4WDも用意されました。その後、1988年には乗用車モデルが追加され、エンジンも3気筒SOHCに換装されています。

1988年発売のトゥデイ、要望に応えて軽乗用車も追加設定
1988年発売のトゥデイ、要望に応えて軽乗用車も追加設定

1980年代は、スズキアルト」が開発した軽ボンネットバンが大流行。安価で機能性一辺倒であったボンネットバン市場の中にあって、トゥデイは軽自動車にもファッション性やスポーティさを追求して、特に女性層や若年層に人気を博しました。ホンダは、この頃からすでに若いというブランドイメージを築いていたのですね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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