国民栄誉賞の日/ドップラー博士生まれる/ホンダ6代目「ミラクル」シビック登場!【今日は何の日?9月5日】

■国民栄誉賞の日

王貞治 野球殿堂入りレリーフ(C)Creative Commons
王貞治 野球殿堂入りレリーフ(C)Creative Commons

1977(昭和52)年9月5日、プロ野球通算ホームラン数756本の世界記録を樹立した元巨人軍の王貞治氏に、日本初となる「国民栄誉賞」が贈られました。国民栄誉賞は、偉業を成し遂げて多くの国民に喜びと希望を与えた人や団体に対して、その栄誉を称えるものです。これまでに27人が表彰されており、直近の受賞者は2018年のフィギュアスケートの羽生結弦選手です。ちなみに辞退した人は、プロ野球の盗塁世界記録を樹立した福本豊、大リーグで活躍したイチロー、作曲家の古関裕而の3氏です。誰が選ばれるかは時の総理の判断なので、「なぜあの人が選ばれていないの?」と思う人がいますよね。

ドップラー効果を利用したレーダーセンサー(イメージ)
ドップラー効果を利用したレーダーセンサー(イメージ)

また、1803年のこの日、「ドップラー効果」を発見したオーストリア人のヨハン・クリスティアン・ドップラーが誕生しました。ドップラー効果とは、音や光の発生源が移動する、あるいは観測者が移動すると観測される周波数が変化する現象です。スピード測定器での利用が身近ですが、クルマでも他車や障害物の検出に活用されています。自動運転のセンサーで使われているミリ波レーダーやLiDARなどは、レーザー光を対象物に発射して帰ってきたレーザー光の変化から距離や速度を求めます。クルマにとっても、必要不可欠な技術なのです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●タイプRも追加されたホンダの6代目シビック登場!

1995(平成7)年のこの日、ホンダシビックが4年ぶり5度目のモデルチェンジを行い、6代目「シビック」が発売されました。高出力と低燃費を両立させて「ミラクルシビック」と呼ばれました。

1995年発売の6代目シビック
1995年発売の6代目シビック
1995年発売の6代目シビック(後ろ外観)
1995年発売の6代目シビックの後ろ外観

初代シビックは1972年(昭和47)年にデビュー。2ドアファストバックのコンパクトカーとして低燃費と小気味よい走りを両立して、世界中で大ヒットしました。翌年には、当時世界一厳しい排ガス規制(通称マスキー法)に世界で初めて適合したCVCCエンジンを搭載して一躍世界の名車となりました。

そして、6代目のミラクルシビックが登場。キープコンセプトながら、3ドアハッチバックと4ドアセダンともにCピラーを寝かせて曲線基調のスポーティなフォルムに変貌。走りと低燃費の高次元の両立を目指して、主要グレードには新開発の3ステージVTEC 1.5Lおよび1.6Lエンジンを搭載して、ホンダマルチマチックCVTを組み合わせました。3ステージVTECとは、低回転/中回転/高回転の3つのステージで適切なバルブタイミングとバルブリフトを実現する可変動弁機構です。

1972年発売の初代シビック、翌年にはCVCCエンジンを搭載して世界を驚かせた
1972年発売の初代シビック、翌年にはCVCCエンジンを搭載して世界を驚かせた

さらに、1997年にホットマシン「シビックタイプR」を投入。VTECエンジンのチューニングなどによって、1.6Lで最高出力185PS/8200rpmを叩き出し、他を圧倒する、まさにミラクルな走りを誇りました。

1997年に最強ホットマシンのシビックタイプR登場
1997年に最強ホットマシンのシビックタイプRが登場

シビックは、当時すでに世界累計台数が1000万台を超え、トヨタ・カローラと肩を並べるベストセラーカーでした。現在も人気の長寿モデルですが、保守的なイメージは微塵もありません。つねに時代をリードする先進技術を惜しげもなく投入するのがホンダの伝統であり、それを具現化しているのがシビックです。6代目も、その姿勢は変わらず貫いていましたね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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