民放初のテレビ放送/星野一義引退/21世紀の世界戦略車9代目トヨタ・カローラ登場!【今日は何の日?8月28日】

■日本初の民放テレビ放送開始

初期のテレビ
初期のテレビ

1953(昭和28)年の8月28日、日本初の民放である日本テレビがテレビ放送を開始しました。民放の開始にともない、精工舎(現、セイコー)の提供した時報のお知らせが、初めてのCMとして流されました。ちなみに、日本初のテレビ放送は、半年ほど前の2月1日から始まったNHKでした。テレビ放送は開始されても、当時の白黒テレビの値段は29万円、大卒初任給の50倍以上と庶民の手の届かない高級品でした。そのため、駅や公園、盛り場に設置された街頭テレビを観るため、多くの人たちが集まったそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●“日本一速い男”星野一義選手がレーサー引退!

引退後、チームインパルス監督の星野一義氏 (C)Creative Commons
引退後、チームインパルス監督の星野一義氏 (C)Creative Commons

2002(平成14)年のこの日、”日本一速い男”と呼ばれ、30年以上日本のモータースポーツ界をリードしてきたレーシングドライバーの星野一義選手が、55歳で引退を表明しました。2輪のモトクロスに始まり、4輪のツーリングカーやGTカー、フォミュラーカーと、カテゴリーを超えたオールラウンダーのレーサーとして通算133勝、21の4輪タイトルを獲得。かのF1ドライバーのE・アーバインをして、「日本にはホシノというとんでもない速い奴がいる」と言わしめ、例え負けてもその妥協のない戦う姿勢から“日本一速い男”の勲章を最後まで誰にも譲ることがありませんでした。星野選手の引退によって、日本のモータースポーツが下火になったと言われるほど、偉大な存在のレーシングドライバーでした。

●21世紀とともにすべてを一新した9代目カローラ登場!

2000(平成12)年のこの日、日本のファミリーカーを代表するトヨタカローラが8回目のモデルチェンジを行い、9代目が登場しました。

2000年発売の9代目カローラ
2000年発売の9代目カローラ
2000年発売の9代目カローラ(Rear View)
2000年発売の9代目カローラ(Rear View)

1966年にデビューした初代カローラは、当時のユーザーのマイカーに対する憧れや、軽自動車からの上級志向に応えた手頃な大衆車として大ヒット。発売から3年半で100万台を超える、当時のミリオンセラー最短記録を達成し、大衆車として日本のモータリゼーションを牽引しました。その後も、長く日本のコンパクトファミリーカーをリードしている、現在も世界で最も売れているクルマです。

2000年発売の初代カローラフィールダー
2000年発売の初代カローラフィールダー

9代目カローラは、21世紀の世界戦略車としてデザインやプラットフォーム、パッケージングを一新。セダンとワゴンが用意されましたが、ワゴンはこの9代目から「カローラフィールダー」と名乗るようになりました。エクステリアは、欧州デザインスタジオのデザインをベースにボリューム感のある流麗なフォルムを採用。車室内は、ホイールベースと全高を延ばして広く上質な空間を実現しました。パワートレインは1.3Lと1.5L、1.8L DOHC 16Vおよび2.2Lディーゼルの5機種と4速ATおよび6速MTの組み合わせ。駆動方式はFFベースで主流の1.5Lエンジン搭載モデルには4WDが設定されました。

1966年発売の初代カローラ
1966年発売の初代カローラ

21世紀ミレニアムとともに登場した9代目カローラ。保守的な印象の強い歴代カローラからモダンなスタイルへと変貌し、歴代カローラの中でも高い評価を得て人気を博しました。ただし狙いのひとつであったユーザー層の若返りについては期待通りには進まなかったと聞いています。カローラのような絶対的な岩盤支持層を持つ人気モデルでは、ユーザーの若返りを図ることが長く人気を確保するポイントですね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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