日光東照宮が国宝に/「テレビの父」逝去/トヨタの2代目ポルテ登場!【今日は何の日?7月23日】

■高柳健次郎が世界初のテレビ受像に成功

日光東照宮(引用:日光市観光協会HP)
日光東照宮(引用:日光市観光協会HP)

1946(昭和21)年7月23日、栃木県日光市の日光東照宮が戦後初の国宝に指定されました。日光東照宮は、1617年に徳川家康を祀る神社として建てられ、国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物からなります。「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿や名工・左甚五郎作の「眠り猫」など、有名な建築物、彫刻作品の宝庫です。1999年には、世界遺産にも登録されました。

テレビ伝送実験装置の再現展示(引用:NHK放送博物館)
テレビ伝送実験装置の再現展示(引用:NHK放送博物館)

また1990年(平成2)年のこの日、テレビの発展に尽力した高柳健次郎氏が亡くなりました。1899(明治32)年生まれの高柳博士は、大正時代半ばから昭和20年代後半までの長きに渡ってテレビ技術の発展に貢献した「テレビの父」です。1926(昭和元)年の12月25日、世界で初めてブラウン管に「イ」の字を受像することに成功。その後、第2次世界大戦の影響で開発は一時中断、実際にテレビ放送が始まったのは終戦後の1953年でした。しかし、放送が始まった当時はテレビ自体が超高級品(今なら800万円程度)だったので、街頭に設置されたテレビを皆が集まって見ていたそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●トヨタが2代目ポルテを発売開始!

2012(平成24)年のこの日、トヨタはフルモデルチェンジした2代目「ポルテ」とその兄弟車「スペイド」の発売を開始しました。スペイドは、ポルテの2代目登場に合わせて設定された新型車です。

2012年発売の2代目ポルテ
2012年発売の2代目ポルテ
2012年発売のポルテ(Rear View)
2012年発売のポルテ(Rear View)

初代ポルテは、2004年にデビューしたコンパクトなトールワゴンです。運転席側はヒンジドアながら、助手席側に大口電動スライドドアを装備した左右非対称の2ドアが注目されました。プチバンと呼ばれ、その使い勝手の良さから、特に子育て世代のファミリー層を中心に広い層からの支持を受けて人気モデルとなりました。

2012年発売の初代スペイド
2012年発売の初代スペイド

そして2012年に2代目ポルテが登場。先代の助手席側大口電動スライドドアと低床フロアを継承しつつ、運転席側の後ろにヒンジドアを追加、後席への乗降性を改善した3ドアハッチバッグとなりました。外観は初代のフォルムを引き継ぎながら、室内は多彩なシートアレンジや優れた収納性によってさらに使い勝手を向上。パワトレーンは、1.3L & 1.5L DOHCの2つのエンジンと4速ATおよびCVTの組み合わせ、初代より燃費は大幅に改善されました。発売から1ヶ月の受注は、ポルテが約1.1万台、スペイドが1.3万台と好調なスタートを切り、プチバンブームに拍車をかけました。

2004年発売の初代ポルテ
2004年発売の初代ポルテ

当時のトヨタは、販売系列によって車種が分けられており、コンパクトトールワゴンとしてはポルテとスペイド、ラクティス、そして2015年にはシエンタもデビューしました。しかし近年は車種統合と全販売店全車種併売化が進み、ポルテ/スペイドはその役目を終えて2020年に生産を終了しました。コンパクトなトールワゴンは、人気のシエンタに集約されたようです。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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