関谷正徳が日本人初のル・マン優勝。グローバルカーに変身した11代目スカイライン登場!【今日は何の日?6月18日】

■大森貝塚を発見したモースが来日「考古学出発の日」

大森貝塚モース博士像
大森貝塚モース博士像

1877(明治10)年6月18日、米国の動物学者エドワード・S・モース博士が来日しました。汽車で横浜から新橋に向かう途中、大森駅を通過したところで貝殻が堆積している場所を発見。その後の調査によって、そこから縄文後期の土器や骨器、獣骨が発掘されました。この大森貝塚の発見が、日本の考古学に大きく貢献したことから、「考古学出発の日」に制定されました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

今日は何の日?
関谷正徳氏(左)。(写真:松永和浩)

1995年(平成7)年の6月18日、マクラーレンF1・GTRを駆った関谷正徳選手が、日本人として初めて「ル・マン24時間レース」を制覇しました。1973年に生沢徹、鮒子田寛の両選手が初挑戦して23年目の悲願の優勝。1991年のマツダ「787B」による日本車としての初優勝に続く、大きな金字塔を打ち立てました。ちなみに、これまでにル・マン24時間レースで優勝した日本人は、関谷選手に続いて1997年の荒聖治選手、まだ記憶に新しいトヨタの2018年、2019年の連続優勝の立役者、中嶋一貴選手の3人です。

また2001(平成13)年のこの日、日産から11代目「スカイライン」が発売されました。1999年に日産がルノーの資本参加を受け入れて初のモデルチェンジです。スカイラインといえば、1957年のデビュー以来、「ハコスカ」、「ケンメリ」などの人気モデルが一世を風靡し、長くスポーツセダンの王者として君臨してきました。

2001年11代目スカイライン
2001年11代目スカイライン
2001年11代目スカイライン(Rear View)
2001年11代目スカイライン(Rear View)

そして初代から42年を経て登場した11代目スカイラインは、デザインはもちろん、エンジン、シャシーほかすべてを一新。目指したのは、日本だけでなく世界に通用するプレミアムなスポーツセダンでした。その変更内容は、ボディの拡大、伝統の直6エンジンから2.5Lおよび3.0L V6直噴エンジンへの載せ替え、シンボルであった丸目4灯のテールランプの廃止、さらにMTを廃止して電子制御マニュアルモード付4ATと5ATへの置き換えなどです。また内装は、ロングホイールベース化による広く快適な室内空間に磨きをかけ、高級サルーンの快適性を実現しました。

1972年発売「ケンメリ」(4代目)
1972年発売「ケンメリ」(4代目)
1968年3代目「ハコスカ 」(3代目)
1968年3代目「ハコスカ 」(3代目)

11代目は、歴代スカイラインで初めて輸出モデルとなり、海外では「インフィニティG」と名乗りました。優れた走行性能やしなやかな乗り心地、ゴージャスな内装で高い評価を受け、狙いとしたプレミアムスポーツセダンは達成されました。

しかし、そのスタイルを初めて見て、これがスカイライン?と思った人は多いのではないでしょうか、スカイラインに憧れた世代としては、何か違和感を感じたことも事実です。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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