■日本初のストライキ起こる
1886(明治19)年6月12日、甲府の雨宮製糸場の女工さんによって日本で初めてストライキが行われました。新聞によると、労働環境の悪さや長期労働時間、賃金の引き下げなどに対する不満が爆発したとのことです。当時専門的な技術を身に付けた女工さんは、発展する日本産業の原動力だったので、1週間後には無事和解したとのことです。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
ホンダの創業者本田宗一郎による「マン島TTレースへの参戦宣言」から5年経った1959年、二輪チームはマン島TTレースに初参戦しました。初戦ながらこの年はメーカーチーム賞、翌年1960年には表彰台と順調に成績を伸ばします。そして3年目の1961(昭和36)年のこの日、ついに125ccクラスと250ccクラスで悲願の初優勝を飾りました。この優勝を機に、ホンダの名前が世界に轟き渡ったのでした。
また2003年のこの日、スズキから初代「スイフトスポーツ」が発売されました。2000年発売の初代「スイフト」のマイナーチェンジに合わせて登場したスポーツモデルです。
初代スイフトは「カルタス」の後継車として、排気量1.3Lのエンジン+4ATというパワートレインを搭載した5ドアハッチバックとしてデビュー。軽自動車の部品を流用した低価格がウリでしたが、評判はいまひとつでした。
そして2003年に登場したスイフトスポーツは、スイフトより全幅を50mm拡大、全高を15mm下げてよりスポーティなスタイルに変貌させました。パワートレインは、チューニングされた1.5Lの4気筒DOHCエンジンと小気味よいクロスレシオの5MTの組み合わせ。さらに車重930kgという軽量化に加えて、専用サスペンションと4輪ディスクブレーキなどを採用して、JRWC(ジュニア世界ラリー選手権)で活躍しました。
初代スイフトスポーツは、実質的には軽のクロスオーバー「kei」のワイド版だったスイフトのスポーツモデルです。したがって、スイフト同様スイフトスポーツも初代は軽のイメージから脱却できませんでした。計画段階から世界戦略車として開発された2代目こそ、実質的なスイフトの初代とする見方が一般的なようですね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)