■第1回ル・マン24時間レースが開催!
1969(昭和44)年5月26日、東京~愛知県小牧市まで346.7kmの東名高速道路が全線開通しました。1965年にすでに名神が開通しており、これにより東京~大阪間が一本の道でつながりました。1960年代は、高速道路や新幹線など公共事業が国策として進められた高度成長期。同時にモータリーゼ―ション、マイカーブームに火が付いた時期でした。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1923(大正12)年5月26日、フランスの北西部に位置するル・マン市のサーキットで、第1回「ル・マン24時間耐久レース」が開催されました。レースは、1周約13kmのコースを24時間でどれだけ多く走れるかを競います。初回の優勝車はフランスのシュナール・ワルケールで、平均速度約92km/h、ちなみに2019年の優勝車トヨタは平均速度約219km/h、100年の間にクルマが驚くべき進化しているのが分かりますね。
また1964(昭和39)年のこの日、後に「走るシーラカンス」と称される三菱の「デボネア」が、7月の発売に先駆けて発表されました。三菱自動車が三菱重工から独立したのは1970年なので、当時はまだ三菱重工の自動車部門でした。
当時三菱は、軽の「ミニカ」、大衆車の「三菱500」、「コルト600 & 1000」を発売していました。デボネアが目指したのは、トヨペットクラウンや日産セドリック/グロリアに対抗する最高級車。会社の幹部や政府の要人が運転手付きで乗る「ショーファーカー」でした。目を引いたのは、元GMの設計者がデザインした斬新なアメ車風スタイル。ボンネットとテールの両サイドにエッジを立て、太いフロントバンパーに広いフロントグリルが、5ナンバー車とは思えない豪華さを漂わせました。パワートレインは、2.0L 直6 OHVエンジンと4MT(後に3ATを追加)の組み合わせ、最高速度は150km/hでクラストップでした。道を走れば確実に注目される存在でしたが、残念ながらトヨタと日産が主導する高級車市場で存在感を示すことはできませんでした。
その後、22年間ほぼそのまま、基本設計やデザインを変えずに販売されたことから、「走るシーラカンス」と称されました。その後も巨大な三菱グループをバックに、何と1999年まで35年間販売されました。さすがに最近は見かけることがなくなりましたが、隆盛を極めていたアメ車を日本が追っかけていた頃の象徴的なクルマと言えますね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)