■江戸城無血開城、新しい時代を迎える
5月3日は、「憲法記念日」です。1947(昭和22)年のこの日、日本国憲法が施行されたことを記念して国民の祝日として制定されました。基本理念として、国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重が掲げられています。
また1868(慶応4)年のこの日、新政府軍の西郷隆盛と旧幕府軍の勝海舟の会談によって、「江戸城無血開城が行われました。両者の武力衝突を回避したことが評価されていますが、もし戦争が起こっていたら江戸が火の海になり、明治維新も日本もどうなっていたか、わかないですね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1969年(昭和44)年5月3日、「日産スカイラインGT-R」がデビュー戦のJAFグランプリレースで優勝、また翌年の5月3日も連覇を果たし、ここからGT-R伝説が始まりました。
スカイラインは、1957年のデビュー以降、積極的にレースに参戦して好成績を残していました。1966年にプリンスが日産に吸収合併されると、さらなる高みを目指して、1968年に登場した3代目スカイライン(通称、ハコスカ)に翌1969年2月、スポーツグレードGT-Rをに設定しました。
スカイライン2000GT-Rに搭載されたエンジンは、先代の「スカイライン2000GT」に搭載されたグロリア用直列6気筒2Lエンジンをベースに、DOHC化して3連キャブ仕様とした「S20型」エンジンです。当時としては、圧倒的な高出力160PSを発揮しました。その他、サスペンションやブレーキなども最新の技術が盛り込まれ、発売から3ヶ月後の5月3日のJAFグランプリレースに参戦。厳しい戦いながらも優勝を飾り、翌1970年のグランプリでも連勝、ここから破竹の連勝が始まりました。その後も進化しながら他を寄せつけない圧倒的な走りで、スカイラインGT-Rは1972年まで国内レース49連勝という金字塔を作り、伝説となりました。
当時は、速いクルマこそ優れたクルマ、レースで勝つことがそのクルマの価値やブランドイメージを向上する効果的な手段だったのです。当時GT-Rとデッドヒートを繰り広げたマツダ「ファミリアロータリークーペ」、「トヨタ1600GT」などもレースで名を上げたのでした。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)