第1回東京モーターショーが開催。トヨタ・センチュリーの前身「クラウンエイト」登場!【今日は何の日?4月20日】

■今から150年前に飛脚制度に代わって郵便制度が始まる

4月20日は、「郵政記念日」です。1871(明治3)年のこの日、それまでの飛脚制度に代わり新しく郵便制度が制定されたことに由来します。最初は、東京、京都、大阪の三大都市と東海道線の各駅で郵便物と切手の発行が始まり、翌年にはほぼ全国で実施されました。ところで、その昔活躍していた飛脚は東京-大阪間(約550km)を最短3日で運んだそうです。1日200km近く走るとは凄いと思いますが、飛脚は東海道57ヶ所の宿場で交代していたそうで1人当たりにすれば10km程度ですから、なるほどと思いますね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

1954年(昭和29)年4月20日、日比谷公園で第1回「全日本自動車ショウ(現、東京モーターショー)」が開催されました。展示車両は267台、ほとんどがトラックやオートバイで乗用車はわずか17台だったそうです。当時の乗用車は輸入車か、外国車のノックダウンでしたが、翌年の第2回では純国産車のトヨペット・クラウン、日産ダットサン110型が展示されました。ちょうどこの頃日本のモータリーゼ―ションに火が付いて、その後の自動車ショウでは続々と国産の新型乗用車が披露されたそうです。

その第1回全日本自動車ショウから10年経った1964年(昭和39)年のこの日、トヨタから「クラウンエイト」が発売されました。トヨタの最高級乗用車「センチュリー」の前身となるモデルです。

1964年発売のクラウンエイト
1964年発売のクラウンエイト
1962年発売の2代目クラウン
1962年発売の2代目クラウン

クラウンエイトは、2代目「クラウン」をベースに全長を110mm、全幅を10mm拡大した本格的な高級乗用車です。パワートレインは、日本の乗用車として初めてオールアルミ製V型8気筒エンジン、トランスミッションは2段セミATのトヨグライド・オートマチックを搭載。装備としては、パワーウィンドウ、マグネットロックドア、自動的にON/OFFするヘッドライト、さらにオプションでパワーリクライニングシート、クルーズコントロールなど57年前とは思えない先進技術を採用していました。

1967年発売のセンチュリー
1967年発売のセンチュリー

自動車メーカーにとって、皇室や要人に使われることは、国を代表するクルマとして認められた証となり、大きな宣伝効果になります。この後1967年にクラウンエイトはセンチュリーへ、一方ライバルの日産は、1969年にセドリックスペシャルとグランドグロリアを「プレジデント」へグレードアップさせます。高級車には、一般大衆車の販売競争とは違う、別の激しいせめぎ合いがあるんですね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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