長野オリンピック開幕。スタイリッシュな2代目プレマシーが登場!【今日は何の日?2月7日】

■長野では日の丸飛行隊が金メダル獲得

1941(昭和16)年のこの日、国産初のモーターグライダー「日本式蜂型」が初飛行に成功しました。動力を持たないグライダーに対し、モーターグライダーは動力を持ったグライダーです。日本式蜂型は、胴体が木製モノコック構造、翼は木製の骨組みに丈夫な布を貼り付けたシンプルな構成で、羽田の東京飛行場で飛び立ちました。

また、1998年2月7日、第18回冬季オリンピックが長野で開催されました。ラージヒル団体戦で「日の丸飛行隊」が初の金メダルを獲得するなど、日本チームはそれまでのメダル獲得数を更新する大活躍をしました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

2005年2月7日、マツダは、ミニバンの「プレマシー」をフルモデルチェンジして2代目を発売しました。

1999年初代プレマシー
1999年初代プレマシー

1999年発売された初代プレマシーは、当時ブームとなっていたセダンのような扱いやすさと広い車室空間の両立を狙ったミニバンとして登場しました。マツダには、すでにプレマシーより1サイズ大きい「MPV」がありましたが、5ナンバーのプレマシーは室内空間がやや狭いものの、前後にスライドする2列目シートや軽量で脱着可能な3列シートを採用。快適な室内空間を確保する多彩なシートアレンジが用意されました。

2005年 2代目プレマシー
2005年の2代目プレマシー
2代目プレマシー(シートアレンジ)
2代目プレマシー(シートアレンジ)

そして2005年にモデルチェンジした2代目プレマシーは、「コミュニケ―ティブ&ダイナミック」をコンセプトとして、よりスタイリッシュなデザインになりました。3ナンバーになりボディが大きくなることで、3列シートもそれまでの補助的なものからきちんと座れる3列シートに変わりました。また、ボディの大型化に合わせて搭載エンジンの排気量も増大し、さらに高いレベルで室内空間と走行性能の両立を目指しました。その後も、モデルチェンジによってプレマシーは改良を続けましたが、残念ながら2017年12月で生産終了となり、長い歴史の幕を下ろしました。

2010年3代目プレマシー
2010年の3代目プレマシー

人気のミニバンカテゴリーですが競争が激しいジャンルだけに、堅調に売れていたプレマシーも2010年以降は時流に乗り遅れていたように思います。同時期に、マツダミニバンの兄弟車MPVとビアンテも生産終了となりました。マツダは、ミニバンから撤退して得意のSUVに全力投球するという路線を選択したということでしょう。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

(Mr.ソラン)

この記事の著者

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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