■MPVはミニバンのパイオニア、その後進化を続けるも2016年に生産終了
今日は、「3分間電話の日」です。1970(昭和45)年1月30日、市内電話の料金が10円/3分に設定されたことに由来します。それまでは、1回の通話で無制限で10円だったそうです。電話が少なかった時代、長電話が問題なって時間制料金を導入したそうです。いつの時代も長電話は問題になりますね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
本日は、マツダが前身である「東洋トルク工業」の設立から101年を迎えた日です。もともとはコルクの製造会社として1920年に創立され、その後まもなく自動車製造業に参入。古くは世界唯一のロータリーエンジンの量産化、最近では「SKYACTIV」シリーズの実用化など独自の技術で存在感を放っています。
マツダの創立から70年後の1990年1月30日、ミニバンのパイオニア的な存在であったMPV(マルチ・パーパス・ビークル)が発売されました。
1.5ボックス型のボディに7~8人乗車と広い荷室が売りのミニバンは、当時日本ではまだ珍しいファミリーカーでした。その代表格が、MPVと同年発売のトヨタのエスティマでした。
MPVは、国内発売の2年前に米国で先行販売されて高い評価を得た後、マツダが自信をもって国内に投入したモデルでした。FRベースでV型6気筒3.0Lエンジンを搭載、7人乗員の3列シートは全席ウォークスルーできる余裕の室内スペースを確保していました。しかし、米国を意識したシンプルなデザインと実用性を重視した大き目のボディは、狭い日本の道路では扱いにくく販売は米国のようには伸びませんでした。
一方で、1994年にスタイリッシュなミニバンをアピールした「オデッセイ」が登場して空前の大ヒットになります。これを機に、車高の低い乗用車のようなミニバンの一大ブームが起こり、MPVも1995年のマイナーチェンジでは、車高を下げステーションワゴン風のデザインに変更しました。
その後、1999年登場の2代目でFF化してさらにスタイリッシュなミニバンとし、2006年登場の3代目では爽快な走りのスポーティさを強調、と進化を続けてきました。しかし、販売は低迷気味で2016年3月に生産終了しました。その後、ミニバン仲間のプレマシーとビアンテも姿を消しました。
マツダは、ミニバンから撤退して得意のSUVに全力投球するという路線を選択したのでしょう。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)