■労働組合法、石油需給適正化法が制定
今から75年前の今日12月22日に、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権等の保障について定めた労働組合法が制定されました。
現在日本では、労働組合の活動は下火になっていますが、1970年代までは結構ストライキで交通機関が混乱したというニュースが伝えられていました。しかし、1980年代に入ると組合のストはほぼ皆無になりました。サラリーマンの賃金が安定したり、労働組合と政治との結びつきが多くの人から敬遠されたことが、組合活動の衰退の理由でしょうか。
またクルマと多少なり関わりのある法律と言えば、1973年12月22日に制定された石油需給適正化法です。これは、石油の安定供給を確保して石油を節約する措置を講ずることで、石油の需給の適正化を図るための法律です。
背景には、この年勃発した第一次オイルショックがあります。世界的なガソリン価格の高騰や自動車価格の上昇をもたらし、それまでの高出力志向のクルマに代わって、燃費の良いコンパクトカーが求められるようになりました。おかげで、米国市場では安価で燃費の良い日本車の販売が急伸し、日本車が世界市場で確固たる地位を築く礎になったのでした。
日本にとっては、まさに「ピンチはチャンス」、「禍転じて福となす」となったわけです。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1993年12月22日は、三菱自動車の「ランエボ(ランサーエボリューションGSR)II」が発表された日です。発売は翌年の1月17日ですが、1992年9月にWRC参戦のために開発され、発売と同時にあっという間に完売した初代ランエボに続く2代目モデルです。エンジンのパワーアップや車両のサイズアップによってさらに走行性能を高め、このモデルをベースにしたラリー車はWRCグループAの1995年スウェディッシュラリーで初めて優勝を飾り、ランエボの伝説が始まったのです。しかし、2015年の限定販売を最後に、ランエボは、24年10代にわたる歴史に幕を閉じました。
また今年2020年、三菱はパジェロの生産終了を発表し、ここに三菱自動車の2枚看板を失うことになりました。何ともったいないことか。
100年に1度の変革期を迎えていると言われる自動車業界、CASE(コネクティッド・自動運転・シェアリング・電動化)時代の到来を前に、かつての名車がどんどん消えていくことに寂しさを感じるのは私だけでしょうか。
毎日がなにかの記念日。それではまた次回!
(Mr.ソラン)