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■清水和夫さん、高平高輝さん、石井昌通さんの3人のおじサマたちが語るWRCラリーの魅力とは?
●私たちに最も身近な競技、それがラリーです!
東京オートサロン2020 の屋外イベントスペースに設けられた「WRCラリージャパン2020」ブースでは、2020年11月19~22日に愛知・岐阜にて行われるWRCラリージャパンの大盛り上げイベントが繰り広げられていました。
そのメインブーステント前で1月11日(土)、現役ラリースト&国際モータージャーナリスト・清水和夫さんと、海外ラリー参戦経験ありのモータージャーナリスト・高平高輝さん、そしてコ・ドライバーとして国内ラリー参戦経験ありのモータージャーナリスト・石井昌通さんのMCによる、「おじさんたちのラリー考・ラリーは面白い!言いたい放談」と題したトークショーが行われました。
モータースポーツの歴史、ラリーの魅力、またWRCラリージャパン開催について、3人のモータージャーナリストが語るラリーの世界を前編&後編の2回に分けて聞いてみましょう!
石井昌通(以下、石井):この「言いたい放談」というのは、清水和夫さんのYouTobuチャンネル「StartYourEnginesX」内で、ボクら3名のモータージャーナリストがクルマに関するアレコレを喋りまくるトーク番組です。いつもはスタジオで収録していますが、今日は初めて屋外にやってきました。
清水和夫(以下、清水):炎上覚悟で思いっきり言いたいことを喋ります!
高平高輝(以下、高平):録音録画禁止!でお願いします(笑)。
石井:高平さんは元カーグラフィック誌でモータースポーツ、ラリー担当だったと?
高平:若いころはサーキットへ、その後はラリー担当になり、トヨタ・セリカGT-FOURのグループBからグループAにかかるあの時代から10年ほど世界戦を追いかけました。日本車が面白かった時代ですね。
石井:FFのランチア・デルタHFインテグラーレもいた時代?
高平:ランチア・デルタはグループAになってから6年連続マニファクチャラー(※メーカー直系のワークス)・チャンピオンで、トヨタがなかなか勝てなかった。
清水:私はその前の時代、グループBでポルシェ959やアウディ・クワトロスポーツなどのモンスターマシンが出た頃。プジョーやフォード他、みんなミッドシップ4WDで、グループBだからホモロゲーション(公認)で500台(※200台)作ればいいと。でも日本メーカーはそこに参戦できなかった。
やがてグループAでホモロゲーション年間5000台になると、今度は日本メーカーがやたら強く、トヨタ・セリカGT-FOURやスバル・レガシィとか出てくるんです。スバルドライバーのマルク・アレン選手(※フィンランド人ラリードライバー)が「ホイールベースを100mm短くしないと勝てない!」ということで正直に出てきたのが、スバル・インプレッサ。あとは三菱・ランサーエボや、日産・パルサーGTI-R、マツダ・323とかね。
●日本メーカーの黄金期に大活躍したランサーエボ、インプレッサ、GTI-Rの4WD軍団!
高平:日本メーカー黄金期ね。ターボ・4WD・適切サイズ(スポーツセダン)を年間5000台も買ってもらわなければいけないし。
清水:R32GT-Rは4WDターボ。でも、ラリーというよりはサーキットのグループAで勝つためのクルマ。ランサーエボとインプレッサはラリーに勝つための4WDターボ。今回の東京オートサロン2020・GAZOOブースに出ているヤリスは「GR4」。20ン年ぶりにトヨタが4WDスポーツを作ったんだよね。
多分トヨタはスバルの4WD技術を欲しかったんじゃないのかな~?なんて思ったりして。インプとランエボは、特にスバルはニュルブルクリンク24時間耐久レースなどを通して、20年以上4WDターボを作り続けてきたでしょ。その図面の中にはないノウハウをトヨタはスバルから学びたかったんじゃないかなぁ。
高平:1997年かな? ワールドラリーカーという、ラインアップの中に4WDが無くても、フォード・フォーカスのように4WDに換えられるようなレギュレーションになってから、ヨーロッパ車が速くなってきた。
●4WDラリー車はピエヒ博士が生んだアウディ・クワトロが原点
石井:グループAが日本車ばかりになってきて面白くないから、新しいルールができた。
清水:4WDを語るうえで忘れてはいけないのが、1980年のジュネーブショーに強烈なインパクトでデビューした、アウディ・クワトロ。オフロードじゃない4WDシステムをオンロードのハイスピードで実証しましたよね。フェルディナント・ピエヒ氏が、アウディをもっと上に!ということでクワトロの技術を持ち込みました。そこからアウディのラリーが始まった。
石井:それまではランチアが2WDで、アウディが4WD始めて、もう4WDじゃなくては勝てなくなった。華やかな時代ですね!
●ヤリスGR4など、我々に身近なクルマたちによって繰り広げられるのが、ラリー
高平:モンテカルロ・ラリーって1911年からスタートしているんです。それに比べ、WRCと世界選手権化されたのはつい最近、1973年なんですよ。サファリ・ラリーやモンテカルロはずっと前からやっていたんです。非常に皆さんのクルマと直結していた時代があるんですよね。
これからヤリスGR4も走るんでしょうから、それがまたフォーミュラカーと違って面白い。自分と同じクルマが雪の上をあんなに凄い速さで走る。ラリーはシンプルだけど直接的なインパクトがあるのが面白いんだと気付きました。
清水:ボクが18歳でラリーを始めてからもう47年。その後チーム・スバルに拾われて、イヤイヤ(!?)レオーネで走ってた。だってそれまでのFRのTE27レビンからいきなり超アンダーのFFレオーネだと、どうやって曲がればいいんだ!?って、無意識にサイドブレーキひいたりして崖に落ちてた! でもおかげで、ボクの辞書にアンダーステアという文字は無い。当時、どれだけアンダーを消して走ればいいのかを学んだよね。
石井:レガシィになって曲がるようになった!
清水:物凄くよく曲がるようになったよね。インプレッサなんかはバカみたいに曲がる!
それまではアウト・イン・アウトなんかできなくて、イン・イン・インどころか熊笹の中を入るくらいインカットしないといけなかった。そんな時代もありましたねぇ。
石井:みんなが乗っている市販車とモータースポーツが近いっていうのがラリーの一番いいところですかね?
清水:歴史を見れば、ル・マンも「パリ-ルーアン」(※1894年に行われたパリ-ルーアンが世界で初めてのモータースポーツイベントとされている)の間でやっていましたからね。
昔はサーキットは無かったからね。だからラリーのほうがモータースポーツの原点。その後、インディアナポリスにサーキットができてインディ500マイルレースが生まれた。ニュルブルクリンクができたのが、1928年。ヒットラーが、貧しかったアイフェル地方の人たちに一切れのパンを食べさせるためにやった公共工事だったんです。
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え? あのヒットラーがニュルブルクリンク・サーキットを作った!?というところで、この続きは後編で~!
(出演:清水 和夫・高原 高輝・石井 昌通/アシスト:永光 やすの/動画:StartYourEnginesX)