平成から令和への代替わりを迎え、新型センチュリーの御料車をニュースなどで見る機会が増えきています。日産プレジデントがなくなった現在、トヨタのみならず日本を代表する唯一のショーファードリブンといえるのがセンチュリー。
2020年12月末(予定)をもって閉鎖される東富士工場ですが、今回プレス向けに新型センチュリーの工場見学の機会がありましたのでご報告したいと思います。今回は東富士工場について簡単にご紹介します。
センチュリーは、1946年に設立された旧関東自動車工業が初代から生産を受け持ち、その後、1950年設立のセントラル自動車と1997年設立のトヨタ自動車東北の3社が2012年に合併。現在のトヨタ自動車東日本になってからも、東富士工場が1967年以来、センチュリーの生産を受け持っています。
土地面積268,000平方メートル・建物面積132,000平方メートルという広大な敷地は、まさしく富士山の裾野にあり、高低差のある土地に工場が作られているのが特徴です。
今まで生産を受け持ってきた主な車種は、1965年デビューのスポーツ800、67年のセンチュリー、76年のコロナ・マークⅡ、80年のマークⅡ、83年のカローラ・レビン(AE86を含む80系カローラ・レビン/スプリンター・トレノ)、95年のクラウンコンフォート、2004年のアイシス、そして2012年からポルテ/スペイド、2017年からJPN TAXI、2018年6月から新型センチュリーの生産を開始。
ほかにも、チェイサー、クレスタ、ソアラ、レクサスSC、カリーナED、国内自動車生産1億台を記念したオリジンなどを旧関東自動車工業が受け持ってきました。
東富士工場には化成工場があり、67年5月竣工した「F201工場」にセンチュリー工房、塗装工程があります。現在、センチュリーが生産されている「F301工場」は68年9月竣工で、プレス、ボデー、塗装(〜2016年9月)、組立、検査工程があります。
なお、2018年7月、2020 年 12 月末(予定)までに東富士工場の生産が東北に集約され、同工場の閉鎖が決定済みです。同工場の従業員約 1,100 名は東北へ異動するそうで、センチュリーの生産工場がどこになるかは、今回の工場見学の質疑応答でも回答はありませんでした(一部報道では愛知県に移管)。
閉鎖される東富士工場の活用については、一部報道では次世代技術の実証が行われる先進都市になるという話もありますが、こちらも正式発表待ちということになります。
(文/塚田勝弘 写真/水野孔男、塚田勝弘)