「のむけん」こと野村謙選手D1GP完全引退!そのラストランを追った

11月3、4日にお台場特設会場で開催されたドリフトの祭典「TOKYO DRIFT」。11月3日は日本のドリフトプロフェッショナルシリーズであるD1グランプリの最終戦が開催されました。

そしてこのるD1グランプリ最終戦をもって「のむけん」こと野村謙さんが18年にわたるプロドリフトドライバーとしての選手生活に終止符を打ち引退することとなりました。

この日のD1グランプリのスケジュールは単走決勝と単走上位16台による追走の決勝。のむけん選手の競技としてのラストランは単走で終わるのか追走に駒を進めることができるのかというところが大きな注目となっていました。

単走1本目は94.01というDOSSスコア。進入速度の基準である128km/hに達していないということでセクター1のスコアが伸び悩みます。1本目でベスト8に入らなかったことにより単走2本目に出走することが決定。

そして単走2本目では1本目よりスコアを伸ばしての95.89。このスコア、ベスト16に残れるか否かのギリギリのボーダーライン。

しかし単走2本目が終了した時点での順位は、なんと17位!この単走2本目をもって競技としてのラストランとなってしまいました。

単走決勝の自身の走行終了後、放送席にやってきたのむけん選手。順位が確定した際に「みなさん手を振ってくれて、走ってるときに。失敗はしてるんですけど。でも楽しい18年間でした」とコメントしています。

そしてD1グランプリのスケジュールが全て終了した後、表彰式を前にしてのむけん選手の引退セレモニーが行われます。

追走にパートナーとして登場した熊久保信重さん。「2006年にのむけんとチャンピオン争いをしたときに直接対決をしていないので今日はその続きをしにきた」とコメントしています。そしてまず一台ずつの単走から。

まず勢いよく飛び出したのむけん選手。その最後の走りを目に焼き付けようとファンが見守る中、いきなりの減速!

駆動系のトラブルでラストランは残念ながら終了。

ファンに最後の走りを見せられなかったのむけん選手。マシンの横でジタバタとして見せます。ある意味のむけん選手っぽいファイナルだったのではないでしょうか。

そんな気持ちを察してか、熊久保さんがのむけん選手の元にやってきます。そして熊久保さんのマシンに乗り込むのむけん選手。

そして観客席のファンへ謝りながらも声援に応えます。

のむけん選手への声援のために作られた黄色いフラッグでファンの方々は声援を送ります。

そしてステージへ上がるのむけん選手。

これまでの軌跡をまとめたビデオが流されると正座をして魅入るのむけん選手。

「ドリフトは大好きだし、D1も大好き。まず来年の開幕戦は観客席でビール片手に野次を飛ばしたいと思います!第2戦くらいからチーム作って若いの乗せて、スポンサーとって金歯にしちゃう」と冗談を交えながらもこれからの目標を語るのむけん選手。

ラストスピーチが終わると選手会を代表して2018シリーズチャンピオンを横井昌志選手と、熊久保さんから花束を受け取ると、花束で顔を隠しながら号泣するのむけんさん。

そんなのむけん選手を囲んでステージ上の選手のみなさんが胴上げをプレゼント。

2001年のD1グランプリ初開催から18年間、D1グランプリの歴史そのものともいえるのむけん選手の活躍。そしてとにかくファンのことを一番に考え、常にファンを楽しませることに専念していた印象の強いのむけん選手は、選手の人気投票において常にトップを走っていました。

そんなのむけん選手こと野村謙さんの引退は寂しさがつのりますが、しかし新たなチャレンジを期待して引退を、卒業としてお祝いしたいと思います。

翌日に開催されたFIA International Drifting Cupではのむけんさんのマシンが展示され、その偉業が讃えられていました。

(写真:高橋秀彰 文:松永和浩)

この記事の著者

松永 和浩 近影

松永 和浩

1966年丙午生まれ。東京都出身。大学では教育学部なのに電機関連会社で電気工事の現場監督や電気自動車用充電インフラの開発などを担当する会社員から紆余曲折を経て、自動車メディアでライターやフォトグラファーとして活動することになって現在に至ります。
3年に2台のペースで中古車を買い替える中古車マニア。中古車をいかに安く手に入れ、手間をかけずに長く乗るかということばかり考えています。
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