国産スポーツモデルが数多く誕生した1980年代、尖ったメーカーはヨーロッパ名門ブランドとコラボしてスペシャル車両を生み出すに至っていました。そんな日欧コラボ・チューンド車を紹介する本企画、第1回は『ダイハツ・シャレード・デ・トマソ ターボ』の登場です。
スペック:ダイハツ・シャレード・デ・トマソ ターボ(1984年)
全長×全幅×全高……3600×1575×1390mm
車重……690kg
エンジン・出力&トルク……3気筒OHCターボ・80ps/5500rpm&12kgm/3500rpm
トランスミッション……5MT
「パ、パンテーラの兄弟がダイハツから出ただとーッ!?」と全国のクルマ好き(小中学生含む)の度肝を抜いたモデルが『ダイハツ・シャレード・デ・トマソ ターボ(1984年)』です。
1983年登場のリッターカー(排気量1L級コンパクトカーの愛称)である2代目シャレード。これにミッドシップ・スポーツのマングスタやパンテーラなどで名高いエキゾチックカー・メーカー『デ・トマソ』を興したアレッハンドロ・デ・トマソ氏が直接プロデュースし、ダイハツが内外をイタリアン・スポーツ流儀でまとめたというのがこのクルマの全体像です。
ダイハツは当時、アレッハンドロ氏が代表を務める自動車メーカー・ヌオーバ・イノチェンティ社へエンジン供給をしていて、デ・トマソ ターボはその協力関係の賜物といえるものだったのです。
具体的にその特別カスタム内容を見ていくと、中身はかなり大胆かつ広範囲に渡るものだとわかります。ベースとなった1L過給器付き3気筒エンジンを搭載する「シャレード・ターボ」はスペース効率に優れるセミ・ハイルーフを標準採用していましたが、デ・トマソではこれをロールーフとして前面投影面積を減らす根本的な空力対策を施しました。
なおボディカラーは赤(「ハイスピードレッド」という名前! 格好いい!!)と白(「ホワイトインパルス」!)の2色が用意されています。
この特別なボディに、ダウンフォースを稼いでリフト量を減らすエアダムをビルトインした大型の前後エアロバンパーと、ハッチバックの大半を覆う……どころかCピラーにまで構成パーツが追加される特盛りリヤスポイラーを装着。さらにサイド面では左右方向に大きく張り出させたスペシャルなストーンガードと、これに合わせたサイドスカート、そして超大型のサイドプロテクションモールが立体的に組み合わされてセットされます。
デ・トマソ ターボは非常に見どころの多いモデルですが、この抑揚が激しくついた彫刻のようなエフェクトの造形は、エアロパーツ装着がブームであった当時においても突出した個性を持っていました。さらに、このイカついパーツ類はボディカラーではなく「黒」で統一されていたことから、印象的なロゴデカールとともに「ダイハツのド派手な赤黒」として強く認知されていたのです(白黒は少数派ね)。
ホイールは「カンパ」ことイタリア・カンパニョーロ社のマグネシウム製が採用されていましたが、話題だったのは材質より塗色がゴールドであったこと。当時のクルマ好きにとって赤黒に金のホイールといえばそれは自動的にスーパーカーを指すもので、色だけでも昇天できる要素満点でした。
マフラーもデ・トマソ ターボだけ2本出し(標準ターボはシングル出し)が採用されていたことも非常に重要な識別点でした。
一方で室内も手が込んでいます。これまたイタリアン・ブランドのモモ製ステアリングが採用されるほか、シートは専用デザインの赤&黒のバケット・タイプへと換装(なんとリヤシートもデ・トマソ専用設計です!)。さらにブラック基調のインテリアに真っ赤なレザー製インパネ・トレイや、赤いカーペットやドアトリム(一部)を採用するなどして、インテリアでもスペシャルなムードは貫かれていたのでした。
ちなみに過給器付きシャレードでドアポケットやメーター下部のデジタル時計が備わるのもデ・トマソ ターボだけ。これ豆知識ですよ。
内外とも圧倒的にスポーティで特徴的な造形を誇ったデ・トマソ ターボは、1985年に異径ヘッドライトを採用するなどのマイナーチェンジが施されつつ長期に渡って人気を誇ります。街のあちこちで「ド派手な赤黒」が飛び回り、ダイハツのスポーツモデル・イメージを決定づけたのでした。
(ウナ丼/写真:吉見幸夫)