1977年、VWグループ傘下アウディに吸収されたNSUの「不運な貴公子」 Ro80の生産中止を知り、インゴルシュタットから最終型を借り出し、ババリア・アルプスを走って数年後のことです。アウディは、アウディ200に最新REを搭載した実験車を日本に送り込みました。
付き添ってきたのが、当時アウディのフェルディナンド・ピエッヒ博士でした。第2次大戦後VWビートルとなる KdF、戦後のポルシェ・スポーツカー設計者、フェルディナンド・ポルシェ博士の孫で、数年前の失脚まではVWグループの帝王的存在でした。
この日本に来た実験車について、アウディ・トラディションのラルフ・フリースさんから、「ヴァンケルREを搭載した100/200プロトタイプと同じ消滅の運命を辿った」のメールが入りました。一方で、2台のアウデヴィ100・2ローター車2台の存在を知らせてくれました。エンジンは KKM871型2ローターで、単室容積750cc、マツダ式に呼ぶと「15」となります。吸入ポートは、ペリとサイド両用の「コンビポート」で、ソレックス製4バレル気化器、あるいはポート噴射で、出力は150-210psとこと。フリースさんによると、現在NSU-アウディ期の RE技術史を探索中で、2018年にはまとめるとのこと。幻の「Ginza KKM」が判るといいのですが。
ピエッヒ博士とアウディ200 KKM実験車の来日は、日本のヴァンケル型REライセンスを取得した顧客の表敬訪問と聞きましたが、果たしてピエッヒが誰に会い、何をか語ったかは、一介のライターが知る術はありませんでした。
ただ、200 KKMのメディア説明の席で、一問一答の機会を得たのは幸運でした。その頃、アウディの主力車種は、フロントオーバーハングに直4エンジンを搭載した前輪駆動車で、上級モデル200には直列5気筒を加えていました。そして市販スポーツクーペとWRC挑戦車はターボ化の噂が流れていました。
実験RE搭載200 KKMの前で、ピエッヒ博士に質問しました。近づき難い帝王になる前なのと、私の怖いもの知らず(当時です)から、「折角、この車、お持ちになった200 RE車ですが、開発が伝えられている5気筒ターボとどちらに可能性がありますか」即答が返ってきました。「5気筒だろう」!!
実際、まずWRC2シーズンでアウディ85 “クアトロ”が猛威を振るい、次いで市販車が登場しました。やはり、REではありませんでした。
2010年ジュネーブ・ショーのサプライズがアウディ・A1 e-tronでした。アウディの“e-tron”名は、電動化数種のコンセプトカーにつけられてきました。A1 e-tronは内燃エンジン発電による航続距離延長型EVで、小排気量1ローターREをリア荷物スペース下に搭載していました。前輪駆動モーターは定時出力61ps、瞬間最大102psを発生します。アウディは、この種のクルマとしては異例に詳細な仕様、性能を発表し、日本の箱根ターンパイクを含め、数回の試乗会を開催しました。
REはオーストリアの技術開発会社AVL製水冷RE 247ccで、A1 e-tronでは定速5000rpmで発電機を回します。ナビ目的地、ルート設定により、自動的に消電量を計算し、RE発電します。あるいは、ドライバーのスイッチ作動でREを回します。
マツダの小排気量RE・REX(レンジエクステンダー)実験車同様、REは非常に滑らかに回り、音も静かでした。
ただ、アウディの市販車は、REは使わないだろうとは、デトロイト米自動車技術会展示のAVL技術者の話でしたが、その通りになります。AVLアメリカ支社は、ディーゼル RE電機を開発しているとのことでした。となると、期待できるのはマツダということになります。
(山口京一)