ポルシェに作れないモノは無い!? ポルシェが手がけた意外な車輌とは? 【意外と知らないクルマメーカーの歴史・ポルシェ編】

ドイツの自動車メーカー「ポルシェ」といえば、ボディ後部にエンジンを配置するユニークなレイアウトを採用する「911」をはじめ、「ボクスター」や「ケイマン」などのスポーツカーづくりで有名です。

後に「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」を手掛けることになるフェルディナント・ポルシェによって1930年に創設され、当時はドイツ主要メーカーから自動車設計を委託されていました。その一方で、自身の手による小型大衆車の開発も進めていたものの資金不足により頓挫。(後に国家的後援もあって、「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」として世界中に広まっていきます。)

現在のイメージから創業当時からスポーツカーに特化していたと思ってしまいますが、このように実は手堅いクルマづくりを行なっており、第二次世界大戦の最中は軍用車の開発も手がけていたのです。


ベースとなったのは1938年に量産が目前に迫っていた「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」。1939年には試作車「Typ62」が完成し、改良を経て「Typ82」として1940年に量産がスタート。950kg以下の総重量や車軸取り付け位置を高めて稼いだ地上高、そしてボディ後端が重くなるリヤエンジン方式だったこともあって、悪路でも高い駆動力を誇ったそうです。

さらに水陸両用車「Typ128」「Type166」も開発。「Typ82」をベースに、四輪駆動を採用し、バスタブ状のボディの後部にはスクリューを装着することで10km/hでの航行を可能にしました。

さらに驚くべきは戦車の開発も行なっていたことです。なかでも「Ⅷ号戦車 マウス」はポルシェのイメージからは想像できないモデルであり、可愛らしいネーミングとは裏腹にボディは全長:約10m、全幅および全高:約3.6mと超巨大な戦車でした。2000m先にある148mmの装甲板を貫く主砲が装備し、最高速度は20km/hと、おそらくポルシェの手掛けた車の中で最も重く遅い存在でしょう。

超重戦車「マウス」は1943年に生産がスタートしたものの、同年7月に戦局の不利に伴う資源不足を理由に量産は中止。最終的には1944年6月にスクラップを免れた部品を集めて1台を完成させたとのこと。ただし、燃費の悪さと試験中にエンジンを破損して走行不能に。その後、修理されて実戦に投入されるも、燃料不足と機関故障によって最終的には自爆。ただ、不幸なことに主砲は無傷で残ってしまい、また車体のみが無傷だった別の試験車も接収された結果、二つを合わせて完璧なカタチで「マウス」は再生。現在はロシアのクビンカ戦車博物館に展示されています。

(今 総一郎)