8月29日、代官山T-SITEに集結した歴代クラウン。これは全国のトヨタ店と東京トヨペットがクラウン誕生60周年である昨年に、初代から7代目までのクラウンをレストアする活動「DISCOVER CROWN SPIRIT PROJECT」に取り組み、そのレストアが完成した約50台が並んだ「CROWN JAPAN FESTA」のフィナーレ。
初代からのクラウンが一同に会する姿は荘厳の一言。
クラウンは、一部タクシー用などで輸出されて入るものの、基本的には日本国内専売車種。つまり日本人のために日本で作り上げた純国産車なのです。そのモノ作りの精神を再確認し受け継ぐという目的もあってのプロジェクトのフィナーレ。
並べられた50台のうち24台はクラウンのふるさとである愛知県の元町工場から430kmを高速道路を使わずに、すべて一般道での走破にチャレンジ。フィナーレでは、その全5日に渡る行程を走破したクラウンによるパレードも行われました。
第1回日本グランプリでクラス優勝を果たしたものと同型式の2代目クラウン、一気にモダナイズされた3代目クラウンなど、歴代のクラウンが次々と私たちの目を釘付けにします。
3代目クラウンは車種バリエーションが豊富なことで知られていますが、クラウンとしては唯一のピックアップトラックがあったのは意外と知られていません。(2代目クラウンに相当するモデルまでのピックアップとバンは、クラウンではなくマスターラインという別車種)
そして4代目のクラウンは初めて電子制御燃料噴射装置(EFI)が装着されたモデルで、よりいっそうの高級感を打ち出しました。
そのパレードのアンカーを務めた初代クラウン、その後席に乗る人物は俳優の豊川悦司さん。
クラウンのCMキャラクターでもある豊川悦司さんは、「圧巻。トヨタの車づくり、技術力に心が震えるくらい、本当に素晴らしい」と初代クラウンの感想を述べ、現在のクラウンにつながるものを感じたそうです。
そんなフィナーレのパレードに参加したのが、東京トヨペットがレストアした3代目クラウンのハードトップ初期型。
この3代目クラウンのハードトップもまた430kmの道のりを走破してきたのです。
それまでお役所や会社重役のクルマというイメージが根強かったクラウンをもっとパーソナルユースにして行こうと計画されたクラウンのハードトップ。レストア車のボディーカラーは当時のイメージカラーの白。当時のクラウンに白を採用したことは、今で言うピンクのクラウンと同じくらいのショッキングな出来事だったことでしょう。
この3代目クラウンハードトップは「CROWN JAPAN FESTA」に先立つ8月4日、東京恵比寿のウェイスティンホテルで完成披露発表会が行われました。
華々しくアンヴェールが行われると、輝くように現れた3代目クラウンハードトップ。
東京トヨペットの古谷社長がファイナルオペレーションを行うとレストアの完成です。
このクラウンは東京トヨペットのお客様から譲り受けたという ’69年式 3代目クラウン(MS51)。ナンバーを見ていただけば解かるとおり、新車登録からずっと所有されていた個体のようです。
その所有者の方がスペアパーツを所持されていたおかげで比較的スムーズにレストアが行われたとのことですが、さすがに47年前のクルマですから欠品しているパーツも多数。欠品パーツについては同素材から一品製作でパーツを起したり、代替パーツを採用したりと、創意工夫に溢れています。特にルーフのレザーシートは当時のものが全く存在せず、現代の、より耐侯性に優れたものになっているとのこと。
実際に走ることを目的としてレストアが施されたこのクラウンは、安全に走るためにオリジナルから変えられている部分も有るとのこと。特にタイヤは当時のものではゴムの劣化が激しくなるため、現代のタイヤに当時の流行のホワイトリボンをプリントしたとのこと。そしてブレーキパッドやウェザーストリップなど、現代の素材が優れていればそちらを採用していったということです。
レストアとしてオリジナルにこだわるのではなく、今のクラウンに通じる伝統と革新を、このレストアにも生かしたということなのです。
クラウンをレストアすることによって自動車メーカー、販売ディーラーの基本に立ち返り、また新しい発見をした貴重な機会であった、というレストアに参加した東京トヨペットのスタッフの方の言葉が印象的でした。
(写真・文:松永和浩)