ステアリング棒2輪2 次? その1
1988年、ベルタ・ベンツは、発明者の夫カールに内緒で、ふたりのティーンエイジャー息子を乗せたベンツ・パテントモートルヴァーゲン3輪自動車で世界最初の長距離往復192kmのツアリングをやってのけました。
もっとも、ベルタはカールの才能を見込んで持参金を投資し、その頃の世間の馬なしクルマへの冷淡さが不満でした。ベルタ・ベンツは実証ドライバーであり、発明家(途中ブレーキ劣化でシューを付ける発想)であり、そして卓越した広報パーソンでした。
カールは、4輪車を意図していたのですが、メカが複雑すぎると前1輪操舵柄(ティラー)方式としました。複数の複製車の動画では、軽々と、しかも正確に走っています。
イラストは、英BMCが横置きエンジン前輪駆動第2弾 “1100”を発表した際の広報資料の操安性、乗り心地説明です。馬車の場合、「ピッチング制御は最良、ただし操舵性は馬次第」。手綱が効かないといわれる所以でしょう。
やがて輪形のステアリングホールが出現します。
さて、わが敬愛するベルタ・ベンツの大旅行の125年後、2013年8月、マンハイムからフォルツハイムの歴史100kmルートをたどったのがS500「インテリジェント・ドライブ」でした。
エクスパートドライバーである技術者が円形ステアリングホイール背後に座っていましたが、クルマは一般交通車群の間を自動走行しました。
1900年頃には、多くの自動車は円形ステアリングホイールを採用しています。この仏デラヘイの広告、女性が嬉々として運転している姿を描いています。
ヨーロッパは右側通行ですが、この時代、右ハンドルが多かったのは、非舗装の路肩がしっかり見え、落防止策だといいます。
1900年代には機械式、電動アシストのアイデアが出現、1926年にはアメリカ高級車ピアースアロウ社の技師が本格的パワーステアリングの実証をしました。
彼は、すぐにGMに移りましたが、GMは複雑で高価過ぎるというので棚上げ。最初の生産型は1951クライスラー・インペリアル、翌52年キャデラックでした。以後、急速に普及します。
奇妙なアイデアは、英BLオースティン・アレグロの“ クアティック”で、デザイン作業中のある日、会長のストークス卿が角ばったステアリングホイールを持ってきて、「これをつけろ」と命令。ノンパワーですが、錯覚的に軽く思わせるというのです。
一名、「貧乏人のパワーステ」、悪評紛々で後期は丸型となりました。
(山口 京一)