顔の悪いのが売れなかった理由のひとつとされたクルマがあります。偉大な発明家・技術者ですが暴君的な父親に仕え、後継者として会社を存続し、繁栄させた人物名が失敗クルマ代名詞のようになったのは、気の毒なことです。大量生産による自動車普及功労者、ヘンリー・フォードのひとり息子で2代目社長エドセル・フォードです。
エドセルは、かたくなに父親を説得し、18年継続生産し、競争力低減したモデルTにかわるモデルA開発を進めました。モデルAの成功の栄光を享受したのは父ヘンリーでした。第2次大戦後も高級ブランド、リンカーンの活性化を果たしましたが、1943年49歳で病死しました。
彼の死後、フォード社は、第4の中級ブランドを立ち上げます。当時の経営陣は、彼らが敬愛したエドセルの名をつけました。
しかし、59年型エドセルは、市場目標が曖昧で、また『完璧なクルマ』なるスローガンには達しない品質が裏目に出ます。EDSELの文字を縦に入れた盾風グリル顔も横グリルに慣れた購買層に違和感を与えました。2度のフェイスリフトで整形しますが、人気は取り戻せず、61年を最後に消えます。以来、『エドセル』は、不成功商品の代名詞となりました。
一瞬の思いつきが、それまでアジア系低価格実用車で、ときめき、きらめきとは無縁なブランドを変えました。ドイツ人デザイナー、ペーター・シュライヤーです。
数年前、デトロイ・ショーで話を聞いた彼は、当時韓国ヒュンダイ傘下キアのデザイン`ディレクターに就任していました。彼がノートブックにさらっと描いてくれたのが“タイガーノーズ”。有名になる顔ですが、『虎のアギト』と訳した方が意にかなっているでしょう。「虎は精悍であり、優雅である。鼻、口の一体感と目との関係が素晴らしい」と解説してくれました。
彼の2010年K5 “オプティマ” は、それまでのキアの普遍型イメージを一新しました。また、タイガーノーズのすごいところは、既存車種のフェイスリフトにも効果的でした。
シュライヤーは、キア社長兼ヒュンダイ・キア両ブランドのデザイン担当役員に昇格します。
メルセデス、BMW、ロールス-ロイス、ベントレー、アルファ・ロメオなど伝統的グリルを持つ老舗は別として、世界のメーカーは顔造りに苦労しています。シュライヤーの成果は偉業といえるでしょう。
おまけ1。
メーカーだけじゃない、ソウルの街にもタイガーノーズファンが。ただし、前にスペースがないのでタイガーおしり。
(山口京一)