【3.11東日本大震災】都心がマヒしたあの日を忘れないために

クリッカーが誕生したのは2010年12月。その3か月目に入った3月11日、あの大きな地震が東日本を襲いました。

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電話は繋がらない。メールも届かない。インターネットには時々つながる状態です。ちょうど取材から帰社したばかりの私は、会社にいても何もできないという苛立たしさと、なにかアクションを起こさなければいけない、という無意識のなにかが背中を押し、カメラとパソコンを手にし、自宅のある方向へ足を運び始めました。

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その時はまだ、津波も原発事故のことも私の耳には届いていません。歩いている途中から道路が大混雑、電車は動いていない、バスは超満員のままバス停のお客さんを乗せることもできずに数メートル走る。ただの地震ではなかったという確信がどんどんと頭を埋め尽くします。

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まだガソリンが不足するという事態はほとんどの人が思いついていない様子でしたが、すでにガソリンスタンドはポンプが非常停止し、それをリセットさせる管理者がスタンドに到達できないためガソリンは販売できない状態です。

コンビニは開いていますが、食品、飲料はほとんどありません。けれど、快くトイレなどを貸しています。それに対し、スーパーマーケットは閉店しているところが多かったように思います。

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途中で歩道に瓦の落ちた部分があり、テレホンカード専用の公衆電話は利用者がまずいません。

駅には不安と焦燥しながらもどうしようもないという顔の人達が埋め尽くしています。

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テレビでは千葉の石油コンビナート火災が子供の頃見た怪獣映画さながらに映し出していますが、それは現実でした。けれど、それ以上の津波、原発事故が起きていたのです。

いつ同じようなことが起きるかも知れません。もしかすると、直下型の地震があなたの街を襲うかも知れません。

大きな地震が起きたとき、慌てないためにも、この時の記事をまとめておきました。万が一の際の、一人でも何かのお役に立てれば幸いです。

東日本大震災 緊急レポートまとめhttps://clicccar.com/311_sp01/

(小林和久)

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この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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