いいとも!が32年続いた理由を考えてみた

「森田一義アワー 笑っていいとも!」が来年2014年3月で番組終了すると、1982年の開始以来司会を務めてきたタモリさんから発表されました。

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個人的な思い出ですが、恐らく初めてタモリさんを知ったのが、70年代後半うわさのチャンネルというTV番組でした。

その後、ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」の水曜深夜レギュラーとしての活躍をしながら82年にいいとも!の司会者を始めたことに衝撃を覚えたのを覚えています。

当時、密室芸と評された、本来テレビでやるものじゃない、ある意味放送スレスレの芸が売りだったタモリさんがお昼の番組にレギュラーで出て毎日見られるというのに大変な嬉しさとともに、いや、お昼からタモリさんといえどもあのノリではやっていけないだろう、(当時からかなり冷ややかに見る人が多かったのに加え)つぶされてしまうのはイヤだな、と子供心に感じたものです(実際には平日お昼の番組は見ることができるはずもなく、バブル期にようやく我が家に導入されたVHSビデオに収録して家族団欒で楽しむのが日課になりました、夜中に)。

その後、「ラジカルヒステリーツアー」というコンサートツアーを観に行ったり、昭和のヒット歌謡曲を微妙な替え歌にし著作権抵触問題で発売が制限されたアルバム、「タモリ3」を探したりもしました(結局手に入らず)。マニアックな部分に大いに引かれたわけですが、それからタモリさんは日本を代表する、みんなに好かれる司会者、芸能人になったことはご存知の通り。個人的にはNHKニュース番組の音声を勝手に組み合わせたつぎはぎニュースをオールナイトニッポンで放送したり、当時売れていたニューミュージックやアイドル歌手を完全否定するようなアウトローな芸風が見られなくなったのには寂しさも感じていました。

時代が産み出した天才芸人とも思えるタモリさんですが、日本中がどこを目指すべきか方向性も混沌としていた70年代から、経済成長の極みとも言えるバブル期を目指して行ったと結果的には見える80年代の狭間と言える笑っていいとも!が始まった82年前後にはどんなクルマが発売されたのかで、そのころの時代を振り返りたいと思います。

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トヨタ・ソアラ(初代)/81年4月

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ホンダ・シティ/81年12月

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三菱・スタリオン/82年7月

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マツダ・コスモ・ロータリーターボ/82年9月

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日産スカイライン・ターボRS/83年4月

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トヨタ・カローラ&スプリンター(通称「86」世代)/83年6月

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ホンダ・バラードスポーツCR-X/83年8月
(それぞれ年/月は雑誌刊行基準)

オイルショックを経て、排ガス規制対策にも落ち着きを取り戻し、次はクルマに速さや楽しさを求める時代になったといえるでしょう。 

みんなが自由に、色んなものを探しに行けた時代になったはずなのに、しかし逆にそれが一極集中や国民全員が浮かれたと言われるバブル時代に一直線に向かって行った時代の始まりだったようにも思えます。

本の定価を見ても、この間だけで250円から300円へと値上りしているのもわかります。

いまのタモリさんも好きですが、オールナイトニッポンを掛け持ちだった頃、水曜深夜の生放送を終えてそのまま徹夜で飲んだまま出てるんじゃないか?って思えるくらいノリのよかった木曜いいとも!のタモリさんが大好きだったように、当時の日本車もなにかわからない愛すべきカッコよさを持っていたように感じます。

目指すべきものや正しいものがなんだかわからないままがむしゃらに好きなことを信じて信念として蠢いていたのが当時の日本とすれば、その後、行くべき道筋や方法は決まっていると誰もが納得しているハズ、なのに何かがおかしいのに変わらず今日まで来てしまったのが今の日本かも?と考えられるかも知れません。いいとも!が32年間続いた背景にはタモリさんの変わらない魅力があったのに間違いありませんが、変わりようがわからない日本があったかも知れません。

いつまでも続くハズはないとわかっていながら終ることはないような気分にさせられた森田一義アワーが終わると知ってしまったいま、自分の持っている時間が有限であることを思い知った気がします。そして、タモリさんの座右の銘「適当」を見習って、いま自分が何をすべきが適当なのかをそれとなく考えたいと思います。タモさん、ありがとうございます。

(小林和久)

 

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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