〈MondayTalk星島浩/自伝的爺ぃの独り言36〉 昔のクルマを見ると、思い出すこと
マツダ横浜研究所を訪ねる楽しみの一つがショールームだ。他社みたいな事前アナウンスはなく、さして広いフロアでもないので、せいぜい3台か4台に限られるが、私には懐かしい展示車が多い。
生麦事件で知られる横浜市東部海岸寄りの子安で、戦前、フォード組立工場があった。戦後もフォードが所有したが、工場跡にマツダが研究所を設けた。提携関係推移につれ、今はマツダ籍になっている。
昨年、数回訪ねた内の1回—-CX-5に積んだスカイアクティブG&Dエンジンの勉強会だから、とっくに旧聞。と想っていたら、今年アテンザ試乗会でも同じ展示で、今回は初代コスモスポーツが加わっていた。
玄関を入って即、目に飛び込んでくるのがK360=愛称ケイザプローなる軽3輪ピックアップ。ほかに軽乗用車初のクーペR360とセダン型キャロル。 加えてファミリアバンが並んでいた。
K360誕生は1959年。先行発売されたダイハツ・ミゼットがいかにも3輪スクーター然としていたのに対し、当時肥大化してきた3輪トラックをお父さん象に例えるなら、K360には生まれたばかりの子象みたいな可愛らしさがあった。空冷V型2気筒360cc OHV 11馬力エンジンを前部に搭載、後輪駆動する3輪ピックアップトラックだ。
マツダのケイザブロー(K360)。かわいらしさが魅力, 1964モデル。
R360クーペは翌60年生まれ。スバル360同様のRR設計で、市場にはFFレイアウトのスズライトも健闘中。アッと驚いたのは軽にしてクーペスタイル。エンジンは同じく空冷V2だが、K360用が鋳鉄製のトルク重視型、R360用はアルミ製16馬力を積んだ。
ケイザブローはスタイリングと小回り性、積載能力で大ヒット。軽量化目的の薄肉鋼板は簡単に凹んだが、復元も容易。軽4輪トラックやライトバンが普及するまで愛用され、69年に生産を終える。
R360は低いスタイルながら定員4名。さすがに2+2の後席は足許に余裕がなく、横座りで1名がやっと。「プラス・ワン」と評した。
こちらがR360クーペ。小さいけど4人乗り, 1960
意欲的だったのは軽で初のAT採用だ。事務機器メーカー=オカムラ製のトルコンを組み合わせた。ただ残念ながらトルク変換域のスリップロスが大きく、オーバーヒート警告が頻発。箱根まで往復試乗したものの、上り坂で途中2、3度、休憩を余儀なくされた。
本格セダン=キャロル登場は1962年。クリフカット型リヤウインドーで分かる、軽とは思えぬ後席居住性を確保。さらに世間を驚かせたのは360ccにして水冷4気筒オールアルミの「白いエンジン」搭載。RR設計で20馬力/7000rpmを誇った。軽では「勿体ない」と排気量を増やしたキャロル600も加わったが、静粛性と、前後トレーリングアーム式独立懸架のもたらす乗り心地が最高評価されたもの。
白いエンジンはその後も排気量アップと改良が進み、小型車規格の商用車に積まれて出たのが、800cc 4気筒縦置きFR設計のファミリアバン。乗用車ではないが「ファミリア」を冠した第1号である。
懐かしい4台を眺めていて思い出したのが、小杉二郎さん—-。
ご先祖が日光二荒山神社の神官と伺ったが、ご本人は東京生まれで、明治から大正にかけ多くの作品を遺された洋画家=小杉放庵画伯のご子息。東京芸大を卒業して戦後インダストリアルデザイナーの道を歩まれた。三栄書房・初代社長のお供で東洋工業(当時)を取材したとき、松田恒次社長からデザイナー・小杉二郎さんの仕事ぶりと高い評価をお聞きし、帰京後、早速、目白近くのアトリエに参上した。
スバル360をデザインなさった佐々木達三さんとは進め方が異なり、ラフスケッチ、レンダリングを経てマツダ本社で実物大モックアップ制作に至る一連の作業工程を教わったのは、このときが初めて。
3輪トラックのキャビンに始まり、K360、R360に及んだデザインプロセスは、ひょっとすると日本ではマツダと小杉二郎さんが開拓したのかもしれぬ。以来、自動車メーカーとして最多の受賞歴を誇る「デザインに強い」マツダの誕生物語である。★