【MONDAY TALK by 星島浩】 高輪に仕事場を構えて40年になる。泉岳寺に近く、初めはBMW東京と接した裏側の集合住宅にいたが、今は直ぐ隣の団地に移り、仕事場を閉じた後も、同じビルに住むカミさん所有の部屋に居候している。私の法的住所は茨城の隠居小屋だ。住民でないと土地転用や増改築などの許可を得るのに面倒な事情に因る。
本来、隠居して小さな絵でも描きながら余生を送るつもりでいたのに、自動車に未練があるばかりに平素は東京暮らしが続く。加えて年末年始は仕事しないでも東京で過ごす。都内が空いて楽に走れ、日本橋や浅草などで好みの食事を摂りやすいためだ。
今は高輪2丁目の一部だが、昔は車町と称した。隣組に泉岳寺、高輪神社、高輪稲荷や正覚寺のほか、前記BMW東京がある。以前は品川から札の辻までの国道1号線にプリンス自販本社があった。今もレクサスが1号店を開き、東京トヨタが本拠を構える。
すでに話したっけ。欧米バイクメーカーが軒を連ねていて、BMWはもちろん、BSA(Birmingham Small Arms Motorcycles/英)、ハーレーダビッドソン、NSU(独)など、拝借して先生方に届けるのも車町が出発点だった。NSUといえば、世界初のロータリーエンジン車=プリンツを借りて陸送した記憶もある。
今年の東京マラソンでは品川折り返しで2度観戦できる地の利を生かし、BMWが店を挙げて特製風船を配り、声援に華を添えた。直後、藤原新選手のスポンサーに名乗り出たことでも知られる。シトロエンのショールームがミニに販売店に代わって3年ほど経つ。
年始の楽しみには箱根駅伝が欠かせない。TV中継で通過時刻を予測、往路なら田町交差点、復路なら八つ山橋あたりに近づくと、50m足らずの表通りまで急ぎ、沿道を埋めた観衆と一緒に応援する。
このTV中継される箱根駅伝コースが私には思い出深い。
東名高速が通じた1960年代半ば過ぎまでは、国道1号線で箱根に通ったもの。第三京浜がなかった頃だと、50年代前半か。
当時はモーターファン誌のロードテストが箱根で行われた。
新型バイクが発売される都度、先生方に試乗をお願いしてレポートを掲載するのはいいが、同級バイクを同条件で性能評価すべきだとの声が挙がり、三島から宮ノ下までの上り坂で、常連執筆者=先生方の発進加速タイムを測り、登坂&動力性能と操縦性など比較評価した。
ただし私が参加できたのはテスト車の陸送のみ。東京から鶴見、横浜、保土ヶ谷、戸塚、平塚、大磯、小田原を経て箱根宮ノ下か三島の旅館までバイクを運ぶ。いつも3台以上、ときに4〜5台連ねて走った。
想えば、ちょうど箱根駅伝コースである。年始ではないが、寒い時季は海岸や橋の上で吹く風に悩み、夏は暑く、一休みしようものならジャンパーの下でドッと汗が噴き出たもの。
とある夏。大磯海岸で一休み。かき氷で凉をとっていたら、駐留軍兵士だろうか、2人乗りのオープンカーが停まり「テルミーザウェイ・トゥ・ヘイコーン」と声をかけてきた。同僚と顔を見合わせ「近くにヘイコーンなんてキャンプあったっけ」と訝る瞬間「あ、箱根だ」と気づく—-「ゴーストレート・オン・トゥジエンド・オブ・ジスルート」とかなんとか返したら「キューッ」と一言。砂埃を掻き立てて走り去っていった。駅伝ルートには違いないが、未舗装時代の話である。
その後、モーターファン・ロードテストは都下・村山の機械試験所にコースを移す。箱根の交通量が増えたこともある。どだい公道で明らかな速度違反行為だもの。お咎めのなかったほうがおかしい。
村山にコースを定めてからは、毎月、1車か2車をテスト。各部寸法測定や台上試験が行えるほか、小規模コースながら直線部でゼロヨンなど発進・加速やスラロームを実施。さして広くはないスキッドパッドで定常速円旋回や加速円旋回、操縦性評価が可能になる。
もっとも私はバイク運転がヘタで、せいぜい燃費テストか、先生方が召し上がる昼食の調達くらいしか出番がなかった。★