自伝的・爺ぃの独り言・03 星島 浩 <自動車構造透視図作家>

[MONDAY_TALK] モーターファン誌を発行していた(現)三栄書房の鈴木賢七郎・初代社長から手渡される欧米の専門誌には2輪系、モータースポーツ系もあったが、仰天したのは「オートカー」や「ダス・アウト」に掲載されたテクニカル・イラストレーション=自動車構造透視図である。
 私が好んだのはイギリスのマックス・ミラー氏とドイツのシュレンチヒ氏。マックス・ミラー氏の透視図は筆致に絵画的な美しさが、シュレンチヒ氏のそれにはカチッとした構造の確かさが読み取れた。
 到底私ごとき若僧が手に負えるレベルではなかったが「これからの自動車雑誌は専門家や関係者だけが対象読者ではない、ユーザーやクルマ好きの若者たちに興味をもってもらえるような、単なる説明図で
はない絵解きページを企画しなさい」と指示される。
 最初に制作したのはオートスコープ—-1枚めくるごとに中身が現れる構造説明図で、読者評価は良かったものの、印刷・製本工程に手間とカネが掛かるので、ほどなく通常の図解頁に改められた。
 描き貯めたエンジン、ドライブトレーン、足回りなど各部の図を集めた、2色刷り別冊付録「自動車のメカニズム」が好評を得る。

 

 1台丸ごとの透視図は当時モーターファン誌が主に採り上げていた2輪で始めたに違いないが、構えて描いた記憶はない。シルバーピジョンか、ラビット(両車スクーター)だったかもしれぬ。誇らしいのは約10年後に描いたホンダのスポーツカブだ。透視図が図工系の教科書に採用され、教師になった同窓生に懐かしがられたっけ。
 ホンダが初の世界ロードレース選手権を獲った250ccマシンや同じくスズキの50ccエンジンが英国バイク誌に転載されたこともある。
 英国誌の件は後日談が—-送られてきた掲載料を要らないと返却したら、代わりに出版社から「自由に使ってよろしい」と、コベントリー・クライマックスF1エンジンの詳細写真が届き、ホンダがF1挑戦準備中と知っていたので、後の監督=中村良夫さんに伝え、開発チームの方に「お役に立てば」と差し上げた。
 4輪乗用車の透視図も描いたが、誇りに足る作品はない。他の仕事に忙殺されていたため制作時間が限られ、多くとも取材と下書きに3日間、墨入れに2日間しか掛けられない事情もあるが、次々有能な作家が現れたことで、透視図を続けていく自信を失う。
 モーターファン美術部で後輩に当たる藤本彰氏と小林久夫氏が健筆を奮い、やがて世界屈指のアーティストに数えられる猪本義弘氏が出現したところで、透視図制作から退くと決める。迷いはなかった。
 ただし多くの作品を残した小林久夫氏は若くして亡くなり、ややあって藤本彰氏はカースタイリング誌を主宰。デザイン評論分野で国際的に知られ、日本自動車殿堂理事としても活躍中だ。
 一方、芸術性が認められてアメリカの美術館に作品が収まったほどの猪本義弘氏は多くの名作を残す一方、RJC=日本自動車研究者・ジャーナリスト会議や日本自動車殿堂開設に関与なさりながら、意外に不遇な晩年を過ごしたと伝えられる。
 今もフリーで仕事を続ける大内誠氏は、彼の高校時代、スバル360をデザインなさった佐々木達三さんの紹介で「透視図を描きたい」と私を訪ねてきた。工学部に進んだら手ほどきするとOKし、私のクライアントを引き継ぐ格好で早々と実力派に成長した。が、彼がエラいのは訪独してシュレンチヒ氏のアシスタントを2年近く経験したのと、いち早くパソコンを駆使して透視図を描く技を身につけたことだ。ために大内誠氏の近作には「原画」が存在しない。すべてパソコンデータとして保管されている。今は、そんな時代なのである。
 直接関係ないものの三栄書房出身でフリーに転じた寿福隆志氏も透視図制作にパソコンを用い始めていたが、志半ばで亡くなったのが惜しまれる。彼が花を咲かせのは、私も2011年末まで2頁コラムを50回連載した「モーターファン・イラストレーテッド」誌である。★