【労役でムショに行ってきた!】 元新聞記者のオレさまが飲酒運転で刑務所にぶちこまれるなんて・・・トホホ

「労役」とは、交通違反の罰金を払わない者を刑務所などに留置し、罰金額に応じた労働を課す制度のことをいいます。本書(『労役でムショに行ってきた!』彩図社刊)の著者は、2008年12月、バイクによる飲酒運転で埼玉県警に検挙され、略式裁判により25万円の罰金刑を言い渡されます。払えなかったら即ムショ行きということではなく、検察庁は被告人の都合に合わせて支払いを待ってくれるようです。しかし、フリージャーナリスト兼アルバイターというビンボーな境遇の著者はその「お上のご厚意」に甘え、1年間支払いをズルズルと遅らせたあげく、結局25万円が工面できずに埼玉県の川越少年刑務所での50日間の労役を余儀なくされます。なぜ50日かというと、1日の労役のへの対価を5000円として、日当5000円×50日の労働=25万円の罰金を支払う、という発想によるものです。

労役受刑者は、懲役受刑者とまったく同じ服を着て同じものを食べ、同じように鉄格子のある部屋に閉じ込められて行動に自由のない生活をしますので、「囚人」ということにかわりがありません。違う点といえば「懲役」は模範囚となれば刑期が短縮されますが、「労役」には仮釈放はないということです。著者に課せられた労役は、紙袋に手下げ用の紐を通したり、糊付けして紙袋を作るというものでしたが、1個○銭ぐらいの労働が日当5000円では到底採算に合いません。1人の人間を完全拘束するわけですから、そこに価値があるという考え方もできますが、罪を犯した者を税金で扶養している構造であると考えてまちがいはないでしょう。お気楽な単純労働とはいえ、バツイチで40過ぎて無一文のオケラ、おまけに囚人という反社会的人間のお墨付きまでいただいてしまった己の惨めさと情けなさのために、著者は愛娘のことを思い出しながら涙を流してしまいます。

本書によると飲酒運転厳罰化に伴う罰金額の引き上げや貧困層の増加により、労役を受ける人が増加しており、2008年には10年前の1998年の2倍、7000人を越えたそうです。そして1998年には罰金刑を受けた者のうち労役を選択したものが300人に1人だったのが、2008年には60人に1人にまで増えており、「もはや、労役は他人ごとではない」と著者はいいます。

著者はいくつかの地方新聞社を記者として渡り歩いてきた経験があるだけに、鋭い観察力と情報分析力、そして筆致力を持って、ムショでの暮らしを克明に伝えてくれます。たとえば「刑務所のメシはほんとうにクサいのか」という古典的な疑問に対して著者は独自の解釈をほどこしています。留置場ではトイレの匂いがつねに漂っており、それをオカズにしながらの食事はとりわけ「臭い」ことからこの言葉が生まれたのではないか、という著者の見解には目からウロコが落ちるようです。

土日祝日は労役も休みなので囚人たちは何もしないでただゴロゴロしているだけです。それでも日当はつくのですからこれがシャバならいうことありませんが、行動の自由が制限されているムショの中では、この何もない時間がいかに長くてつらいか。塀の中では「時間」もまた刑罰のひとつになると著者は語っています。こうした時間の中で一緒に過ごした受刑者たちの多種多様なプロフィールやエピソードを紹介しながら、彼らとの間に生まれた連帯感や著者の再生へ向けての意志が淡々とつづられてこのルポは終わりをむかえます。

収監が決まってから刑務所での生活に不安に襲われた著者は(ビビるのが遅いよ~)、川越少年刑務所がどんなところか知りたくてグーグルの衛星写真をのぞいてみたり、労役についての書籍を探したりと懸命に情報収集に努めますが、結局十分なものを得ることができませんでした。その体験からか、本書では収監の手続きから、受刑者の衣服や寝具や食器、食事の内容、住環境などについてイラストをまじえて詳細に伝えており、これから労役に向かう人にとっては、これ以上にない懇切丁寧な「ムショ暮らしマニュアル」となっています。しかし、マニュアル本として読まれることが著者の本意でないことはいうまでもありません。版元の担当編集者によると、著者はもう塀の中に入るのはこりごりと反省しているそうです。そして、あのときもし検挙されていなかったらもっと重大な事故を起していたかもしれない。埼玉県警には感謝しています、とも語っていたそうです。

『労役でムショに行ってきた!』森史之助著 彩図社刊 本体619円+税

(kusu@napo)