無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】 | HONDA_NSR250R_PLAY_BACK_PART1_2 | 7枚目の写真(全8枚)

「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の1枚目の画像 88年のSUGO。友人が型落ちの87年式NSR250Rを購入。自分は発売されたばかりのCBR400RR。88が登場したこの年、1年落ちのレース仕様NSRは非常に安価で購入することができた。ただし、当時は競争が激しく、87では予選を通過するのも困難だった。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の2枚目の画像 パドックの様子。金のない当時の貧乏レーサーの典型的なスタイル。レースウイークになると木曜日くらいからサーキットに泊まり込み。夕方になると水道のある場所には、鍋にお米を入れたヘルパーの女の子達が集まり、皆で米をといでいた。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の3枚目の画像 この当時、耐久レースとルマン式スタートはノービスライダー達の憧れ。そんなこともあって各サーキットで耐久レースが開催された。88年は、自分のCBR400RRで後輩と参戦。レインタイヤが買えず、ウェットの予選で二人とも転倒予選落ち。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の4枚目の画像 ルマン式スタートではライダーが飛び乗ってエンジンをかける。しかしNSRのキックは他のマシンに比べて踏みにくく、スタートで慌てていると上手くいかず、何度かやり直した覚えがある。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の5枚目の画像 1987年式NSR250Rは、1986年10月1日から発売開始。価格は55万9000円(当時)。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の6枚目の画像 1988年式NSR250Rは、1988年1月19日に発売。世界初のコンピューター制御による「PGMキャブレター」を装備。価格は57万9000円(当時)。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の7枚目の画像 89年、筑波サーキットで開催されたバトラックス耐久に出場。89は登場していたが88は戦闘力で決してひけは取らなかった。ただし、乗りこなすのが難しかった為、89の方がレースでは上位に入っていた。
「無敵にしてジャジャ馬! 結局乗りこなせなかった88NSR250Rの苦い思い出【後藤武のバック・トゥ・ザ・名車】」の8枚目の画像 88NSR250Rには、世界初のマグネシウム製ホイールを採用した「SP」が追加された。当時のワークスチーム「ロスマンズ・ホンダ」のカラーを採用。価格は66万円(当時)。
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