初代S30フェアレディZのデザイナー、松尾良彦さんが逝去【訃報】

■初代フェアレディZをデザインした松尾良彦さん

今でも世界中のファンから愛されている和製スポーツカーといえば、初代フェアレディZです。1969年に発売されるとアメリカを中心に世界的なヒット作となり、1978年に2代目のS130へモデルチェンジするまでの9年間で55万台もが生産されました。フェアレディZに関してはミスターKこと故・片山豊さんが有名ですが、デザイン・商品企画を担当したのが当時の日産社内デザイナーだった松尾良彦さんです。初代フェアレディZ誕生に欠かせないキーパーソンでもある松尾良彦さんが2020年7月12日、肺炎のため逝去されました。享年86歳でした。

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デザイン評論家だった松尾良彦さん。

●日産社内デザイナーからフリーのデザイン評論家へ

松尾良彦さんは1934年生まれで日本大学芸術学部を卒業、1959年に日産自動車へ入社されました。当時は東京芸術大学や千葉大学出身のデザイナーしか在籍しなかった日産自動車内において、松尾さんは異色の存在でした。生前、ご本人から何度もお話を聞いたことがありますが「自動車が好きというデザイナーがいなかったから、僕のように子供の頃から自動車が大好きな存在は珍しかったんです」と語っていました。

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デザインしたローレル・ハードトップを自ら社内提案する松尾さん。

1965年に組織変更があり、松尾さんは乗用車をデザインする第一造形課の第四スタジオに配属されます。第四スタジオがスポーツカーを担当する部署であり、次世代モデルの開発に従事します。その当時、オープンカーだったダットサン・フェアレディ2000の後継車開発がスタートします。北米日産の社長だった片山豊さんは後継車をクローズドクーペにするべきとの主張を本社へ何度も投げかけます。また松尾さんも独自のスポーツカー論を報告書として提出します。奇しくも松尾さんからもクローズドクーペが推され、クレイモデルも作っています。片山さんが帰国した際に松尾さんのクレイモデルを見たことで、フェアレディ2000の後継車はクーペボディに決まったという有名な逸話もあります。

前述しましたように、フェアレディ2000の後継車として1969年に発売された初代フェアレディZは世界的な大ヒット作となりました。そのご褒美としてヨーロッパ旅行にも出かけたと、ご本人から聞いたことがあります。

異色のデザイナーであり若手ながら社運を左右する大ヒット作を生み出した松尾さんは、1974年に日産自動車を退職してデザイン設計オフィスを設立します。独立することで自らの才能をフルに活かそうと考えたのです。

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初代フェアレディZのフロントスタイル。

同時に幼い頃からの自動車好きであり、その博識には定評がありました。そこで自動車デザインについての考察を自動車雑誌から依頼され、デザイン評論家としての地位も確立するのです。ですので松尾さんが描いたフェアレディZのデザイン論については過去に何度も雑誌や書籍で語られています。

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初代フェアレディZのリヤスタイル。

●心の底からスポーツカーが好きだった

筆者と松尾さんとの出会いは初代フェアレディZのオーナーズクラブを介してでした。その時に意気投合したと言いますか、何度も松尾さんのオフィス(当時は港区にありました)へ足を運びます。2007年にはノスタルジックヒーローという雑誌で松尾さんを起用した巻頭特集を組んだこともありました。その後も折を見ては松尾さんとお話をする機会に恵まれましたが、オフィスを引き払う時に多くの資料や松尾さんが若い頃に撮り溜めた写真も譲り受けました。

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港区のオフィスでスケッチする松尾さん。

オフィスを引き払い引退生活を送りつつ、イベントなどにゲスト出演してきた松尾さん。最後に拝見したのは2019年に富士スピードウェイで開催されたフェアレディZミーティングのイベント会場でした。

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2019年に富士スピードウェイで開催されたフェアレディZミーティング会場で。

スポーツカーが好きだったのは生涯変わらず、スズキ・カプチーノを長く愛していた姿も印象的でした。当時すでに70歳を過ぎていたにもかかわらず、小さな室内に乗り込んで笑顔を振りまきながら走り去っていく姿は、まさにスポーツカー好きの少年そのままでした。心からご冥福をお祈りします。

(増田満)

【お詫び】初出時に、享年を誤って掲載してしまいましたので訂正いたしました。お詫び申し上げます。

この記事の著者

増田満 近影

増田満

複数の自動車雑誌編集部を転々とした末、ノスタルジックヒーロー編集部で落ち着き旧車の世界にどっぷり浸かる。青春時代を過ごした1980年代への郷愁から80年代車専門誌も立ち上げ、ノスヒロは編集長まで務めたものの会社に馴染めず独立。
国産旧型車や古いバイクなどの情報を、雑誌やインターネットを通じて発信している。仕事だけでなく趣味でも古い車とバイクに触れる毎日で、車庫に籠り部品を磨いたり組み直していることに至福を感じている。
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