国産スポーツモデルが数多く誕生した1980年代、尖ったメーカーはヨーロッパ名門ブランドとコラボしてスペシャル車両を生み出すに至っていました。そんな日欧コラボ・チューンド車を紹介する本企画、第4回は『デボネアV ロイヤルAMG(1986)』の登場です。
全長×全幅×全高……4860×1725×1425mm
車両重量……1620kg
エンジン・出力&トルク……V6 DOHC 24バルブ 2972cc・200ps/6000rpm&27.0kgm/4500rpm
トランスミッション……4AT
※スペックは1989年の後期型
「我が社の次期フラッグシップ車は、AMGにいじってもらいます!」
こうキッパリ言ってのけた勇者が1980年代の三菱にいました。会議室は「ガタンッ!(椅子から転げ落ちる常務)」「ゲホッゲホッ!!(飲みかけた緑茶を詰まらせる専務)」と大騒ぎになったと思うけど(妄想)、それを通した三菱重役もまた偉かった……というか、よく通ったなあこの企画!
三菱の最高級車をドイツ・チューナーがカスタマイズした『デボネアV ロイヤルAMG(1986年)』が今回のテーマです。
AMGといえば今やメルセデスのハイチューンド車両プロデュースやレース活動を統括する『メルセデスAMG』として有名ですが、1999年までは独立系チューナー&レーシングコンストラクターでした。
AMGは、独立系時代にも手がける車両はほとんどがメルセデス車でした。彼らのコンプリートカーでは、標準搭載の2クラス上のエンジンを搭載するなどして徹底的に高出力化がはかられました。一方でクロームメッキグリルを排して樹脂グリルに置換したり、大径タイヤを履くためのオーバーフェンダーが追加された外観も有名です。
そんなAMGとはまったく関係なく日本では、三菱が1964年から1986年まで実に22年の長きにわたりフラッグシップモデル『デボネア』を生産し続けていました。これが1986年に2代目へとモデルチェンジするにあたり、その新型モデル『デボネアV』デビューと同時に突如として設定されたのがこの『ロイヤルAMG』だったのです。これは三菱から働きかけて実現したコラボだと言われています。
2代目になって車名にVが追加されたデボネアは、FRの初代とは異なりFFの新型プラットフォームを採用していました。ボディフォルムはスクエアでクリーンなもので、エンジンはV6のシングルカムで2リッターと3リッターが設定されています。
『ロイヤルAMG』には3リッターエンジン搭載車がベースに選ばれ、これにAMGの手になる内外装カスタマイズが施されています。
ラジエーターグリルはメッキものから光り物一切なしの、骨太なAMGらしいタイプに換装されました。またリヤのテールライトもクロームメッキモールディングが取りやめとなり、ブラックアウトされています。さらにテールライト間を結ぶガーニッシュはボディ同色のものに変更されて特別感を増しました。ちなみにボディカラーはサラエボホワイトと言われる白色一色のみです。
トランクの後端には控えめな造形のリアスポイラーが備わり、専用装備のデュアル出しエキゾーストマフラーと相まってスポーティなイメージを作っていました。
前後バンパーは空気抵抗低減を意識したエアロスタイルのものを構築した上に、ブラックの緩衝材を追加するという独自の造形としています。
ボディサイドには前後にアーチモールディング(オーバーフェンダー)とサイドステップガーニッシュ(サイドスポイラー)が追加されます。ここまではよくあるパターンですが、デボネアAMGではドア下半分を覆うドアガーニッシュという名の大型パネルを追加していたことが大きな特徴です。
これは同年代のメルセデス車のボディ下面に見られた通称『サッコプレート』の意匠にも近いものでした。AMGがメルセデス車を意識してデザインした可能性は大いにあります。これらボディ下回りのパーツはまた、ボディの前後方向と全幅方向にワイド化させて車格を上げる効果がありました。
内装ではAMGがデザインしたブラック&グレーの本革シートが採用されるほか、AMGロゴが入った革巻きステアリングなどが特徴でした。なお専用装備ではありませんが、ドア開閉時にステアリングコラムが電動で上下する国産車初の機構も標準装備しています。また、通常はオプションの電子制御サスペンションも標準装着されていました。
デボネアAMGではこうした内外装カスタムだけがクローズアップされますが、実は標準の14インチから専用15インチタイヤに換装するにあたり、サスペンションメンバー補強やブッシュの強化などがなされています。また1989年に後期型に移行する際にはエンジンがDOHC化され、ホイールが5穴になりABSが標準搭載されるなどの変更も行われていました。
こうして日独ががっちり手を組んで開発したデボネアAMGでしたが、残念ながら販売台数は振るわず後期型では受注生産へと体制を縮小してしまいます。全体での総生産台数も数百台と低調に終わりました。
ただし、資本・技術提携関係もないヨーロッパブランドに飛び込みで声をかけて自社最上級モデルのチューンナップを提案する、という三菱のポジティブな姿勢は最高です。企業としての活きの良さを感じます。
しかも日欧コラボ車への取り組みは、この1台だけで終わりません。1989年にはついにエンジンまでAMGがチューニングしたモデル『ギャランAMG』が登場することになるのでした。三菱、とことんやるタイプです。こちらの詳細は次回の当コーナーで
(文:ウナ丼/写真:三菱自動車)