フォルクスワーゲン ビートルが生産終了。今だから振り返りたい「カブトムシ」の歴史

基本的なスタイリングは不変だったものの、ビートルは絶えず進化を続けました。

1967年には電装系を6Vから12Vへと変更、68年にはアメリカの衝突安全基準に適合させるためバンパーが大型化され、テールランプも大径化しました。1970年には、フロントサスペンションをストラット式に改めた1302型がデビューし、現代的なハンドリングも獲得します。

1Lからスタートした水平対向エンジンは1.1L、1.2Lと発展を遂げ、最終的には1.6Lまで拡大されました。

ビートルがこれだけの人気を獲得した背景には、「カウンターカルチャーのシンボルだった」という理由もあると思います。

アメリカでは、年ごとにゴージャス化、大型化するアメリカ車に異議を唱える知識階級が愛用しましたし、1960年代にはヒッピーカルチャーと融合して若者から絶大な支持を集めました。また比較的シンプルな構造からカスタマイズのベース車両としても人気を得て、ホットロッドやチョップドトップなど、さまざまな改造車が生まれたのです。

2003年、最後の生産拠点となったメキシコ工場で、初代ビートルは最後の1台を送り出しました。総生産台数2152万9464台。自動車史に輝く不滅の数字です。

ビートルの生産が終了しても、このクルマが残した偉大な足跡は少しも色あせるわけではありません。今度、街角で古いビートルを見かけたら、どうぞ「お疲れ様でした」と声をかけてあげてください。

(文:角田伸幸/写真:フォルクスワーゲン/OPTION)

この記事の著者

角田伸幸 近影

角田伸幸

1963年、群馬県のプロレタリアートの家庭に生まれる(笑)。富士重工の新米工員だった父親がスバル360の開発に立ち会っためぐり合わせか、その息子も昭和期によくいた「走っている車の名前が全部言える子供」として育つ。
上京して社会人になるも車以上に情熱を注げる対象が見つけられず、自動車メディアを転々。「ベストカー」「XaCAR」で副編集長を務めたのち、ポリフォニー・デジタルにてPlayStation用ソフトウェア「グランツーリスモ」シリーズのテキストライティングに携わる。すでに老境に至るも新しモノ好きで、CASEやパワートレインの行方に興味津々。日本ディープラーニング協会ジェネラリスト検定取得。大好物は豚ホルモン(ガツとカシラ)。
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