TIME NOW! 1983年夏
宴は24時を期して、幕を開けた。続々とSAに走り込んでくるクルマとともに、赤色燈を点滅させたK察車両がオープニングを彩る。時計の針と共に、パーキングスペースはみるみる埋まっていく。いずれもノーマル車ではない。SAはさながら、真夜中のストリートカーショーの会場と化した。外車勢では、チューンド・パンテーラはもとより、ドレスアップしたAMGベンツ、コルベット、ポルシェ、ロータスらも姿を見せ、国産車もZ、RX-7をはじめ、新旧スカG、セリカ、はてはマークⅡなどのセダンまでが舞台に登場する。パーキングスペースからみても、台数は軽く200台を超えた。
24時30分、6~7名のK察官が、記録ボードを手にエリアを回り始めた。片っ端からマシンのナンバーをチェックしていくためだ。それは奇妙な光景だった。K官と参集者はお互いに強く意識しあっているにもかかわらず、その存在を無視しあうのだ。異様な雰囲気の中、K官は派手な改造車を見ても、何も言わなかった。
25時。チェックもひと段落した頃、エリアは急にあわただしいエンジン音に包まれはじめる。定員乗車に近いクルマが、ひと足先にきたるべきクライマックスの観戦場所を求めて出て行くのだ。主役たちが群れをなして飛び出していったのは、そのすぐ後だった。OPTでは、試しにコース途中にスピードガンをセットしてみたが、群走のため、計測は不能! 焦点を絞れず、苦し紛れにスピードガンがポッと表示した数字は、156km/hにすぎなかった。それはもはや、かつての最高速トライとは別種の全開ショーだった。見物車はバスストップからあふれ出し、恐るべきことには、なんと高速道路の中央分離帯にまで観客がいたのである!
26時。ガランとした海老名SAに、取り残されたようなK察車両がむなしげに、なおも赤色燈を点滅させていた・・・。1983年6月。
「命はひとつ・・・」ライトで浮かび上がる陸橋上の文字は、あまりにも象徴的
瀬田・東京料金所を出て、ショーは終わった。時間にして10分余の、思えばあっけない幕切れ。ショーチャージ、東京からの往復2000円。
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今では考えられない危険度MAX! でも、これが現実だった時代。OPTをはじめとした雑誌屋が記事として取り上げ煽ったから?かもしれません。が、その時代時代に起こっていたことの事実を伝えるのが、雑誌屋の使命でもあるのです。
【OPTION 1983年8号より】
(Play Back The OPTION by 永光やすの)