スバル・インプレッサWRCがアクロポリスラリーで優勝。第1回全国自動車競走大会が開催。【今日は何の日?6月7日】

■商標権を定める「商標条例」が制定

1884(明治17)年6月7日、特許局の初代局長に就任した高橋是清(後の総理大臣)の提唱で、商標保護法を定める「商標条例」が制定されました。最初に登録されたのは、京都の平井祐喜の「膏薬丸薬」でした。どちらが元祖○○なのか!でトラブルになり、裁判沙汰になることはありますよね。

多摩川スピードウェイ(引用:多摩川スピードウェイの会)
多摩川スピードウェイ(引用:多摩川スピードウェイの会)
ホンダの創業者 本田宗一郎
ホンダの創業者 本田宗一郎

また、1936年(昭和11)年のこの日、日本初の本格的な自動車レース「第1回全国自動車競走大会」が多摩川スピードウェイで開催されました。この頃は、まだ本格的な国産車が誕生しておらず、フォードやベントレーといった欧米輸入車と日本の技術者が製作した手作りレーシングカーが競いました。ホンダの創業者、本田宗一郎もフォード車をチューンした「浜松号」で参戦、しかしコーナーで転倒して大ケガを負ってしまいました。ホンダのレーシングスピリットは、ここから始まったと言えるかもしれませんね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

2004(平成16)年6月7日、世界ラリー選手権(WRC)第6戦アクロポリスラリーで、「スバル・インプレッサWRC」が優勝を飾りました。

インプレッサWRC 2004 プロトサWRC 2004 プロト
インプレッサWRC 2004 プロト
インプレッサWRC 2004 プロト(Rear View)
インプレッサWRC 2004 プロト(Rear View)

1990年代のWRCは、富士重工(現、スバル)とトヨタ、三菱の日本メーカー3社が圧倒的な強さを発揮していました。スバルは、レガシィでWRCに本格的に参戦、1993年のニュージーランドラリーで初優勝します。翌戦からはマシンをインプレッサに変更して、1996年のアクロポリス(ギリシャ)で初優勝、その後1996年、1997年と国内メーカー初のマニュファクチャラーズチャンピオン3連覇を果たしました。

2004年発売のインプレッサセダンWRX
2004年発売のインプレッサセダンWRX

その後も、マニュファクチャラーズチャンピオンは逃すものの毎年1勝以上の優勝を飾り、2004年も第4戦のニュージーランドに続いてこの日、第6戦のアクロポリスラリーで優勝を果たします。原動力となるインプレッサWRC搭載エンジンは、排気量1994ccの4気筒水平対向ターボエンジン、最高出力304.2PS/5500rpm、最大トルク60kgm/4000rpmを発揮。トランスミッションは、6速電子式セミオートマチックで、駆動方式はもちろん4WDです。開発は、STI(スバル・テクニカル・インターナショナル)と英国プロドライブ社が手掛けています。

しかし、2008年のシーズンを最後に、スバルはWRCワークス活動の終了を発表。撤退の理由は、成績の不振やリーマンショックによる経営環境の悪化などですが、2022年のレギュレーション変更を機に、復帰するのではという噂が流れています。かつてWRCを席巻した勇姿をまた見たいですね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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